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2008年09月03日

ウルトラバイオレット



2006年6月公開

監督 カート・ウィマー
出演 ミラ・ジョヴォヴィッチ キャメロン・ブライト ニック・チンランド

 アクション映画に小難しい理屈をつけるとB級映画になりやすい。この作品もその王道をいっている感が否めない。ウィルスの感染によって超人的な知能と運動能力を身につけたファージと呼ばれる彼ら。そのファージの能力を恐れて人間たちはファージを殲滅させようと掃討作戦に出る。追いつめられたファージたちは地下組織を結成する。そんな中、ファージ絶滅の切り札となる最終兵器が完成される。その情報をえたファージたちは最終兵器を奪うべく最強の殺し屋ヴァイオレット(M・ジョヴォヴィッチ)を送り込む。ヴァイオレットは兵器の入ったケースを奪うことに成功する。しかし、中身をみると最終兵器と目されるのはわずか9歳の少年であることを知る。彼を守るためにファージの組織と人間の政府両方敵にまわしたヴァイオレットの運命は如何に……。

 冒頭でも述べた通り、アクション映画に小難しい理屈はいらない。妙にこった演出をしてしまうとB級映画の仲間入りとなってしまう。その点で言えば、この作品はB級映画の王道を行っていると言っていいだろう。ただB級映画とは言っても、素直に見れば楽しめる作品となっている。アクションシーンは見応えがあるし、人間とファージとの確執もキッチリと描かれている。愛すべきB級映画とも言える。

 アメコミが好きな方なら素直にこの世界観に入り込めるだろう。逆にアメコミが苦手な人はこの複雑ともとれる世界観には辟易してしまうだろう。僕自身はアメコミが好きなのでこの世界観にはすんなり入れて楽しませてもらった口だが。評価が二分されることだろう。全く面白くない人もいれば、僕のように楽しめる人もいる。だからこそB級映画の王道を行っているのである。まさにB級映画ここに有りという作品でした。アメコミが好きな方なら良いけれど、苦手な方は見ない方がいいかもしれません。僕個人としてはこの手の映画好きなんですけどね。

オススメ度 ★★★☆☆ B旧映画の醍醐味を味わって下さい

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2008年08月25日

X-MEN ファイナルディシジョン



2006年9月公開

監督 ブレッド・ラトナー
出演 ヒュー・ジャックマン ハル・ベリー パトリック・スチュワート

 大抵の映画は続編を出していくうちに、クオリティーが下がっていくものだ。前作が良ければ良いほど、前作以上のものを作らなければならない重圧の中で、あれもこれもと詰め込んでしまい、結果クオリティーが下がるという訳である。ただ、この作品に至っては例外である。シリーズ3作目となる物語だが、クオリティーが下がるどころかむしろ前作以上の出来栄えとなっている。

 あらすじは、ミュータントの能力を消去して普通の人間になる新薬キュアが開発される。それに対して、マグニート率いるブラザーフットは、キュアの根絶を狙う。そのためにはキュア開発の鍵となる少年ミュータント、リーチの強奪に動き出す。一方、X-MENは人類とミュータントとの全面戦争を回避しようと奔走するのだが……。

 普通の人には持っていない能力。それが意味するのはその力をどのように使っていくかによって大きく意味合いが違ってくる。力をコントロールするのか、力に支配されるのかである。自分の私利私欲のために力を使えば、それは既に力に支配されているのである。

 しかもそんな力を持たない人間はその力に対して畏怖を覚えてしまう。羨ましいといった羨望の眼差しが、いつの間にかどうして自分には力がないのかという嫉妬心を芽生えさせる。それが根源となり、人類対ミュータントとの戦いの構図になっている。

 一方で、人類と共存する道を選ぶものもいる。それがX-MENたちである。自分の力をコントロールして決して力に支配されないようにしているのである。

 この作品の中で描かれているのは、人間誰しもが持っている虚栄心や嫉妬心、欲望を丁寧に描写している点である。

 その辺りを描いているのが前作で死んだはずのジーンの心の葛藤である。己の本能、欲望に対して素直である自分に嫌悪しながらもそれに抗えない自分がいることに苛立ちを覚える。もはやX-MENでなくなった彼女の行動ひとつひとつに哀しさがみることが出来る。

 それに加え、新薬キュアが出来たことにより、自分たちの能力に嫌気がさしているミュータントたちの心の揺れも上手く表現出来ている。反対に自分たちの能力を永遠に消し去ってしまうということに対して嫌悪感を抱きキュアに対して否定的な見解を持つものもいる。その辺りの感情を上手くまとめあげたのがマグニートである。

 本作品は、全ての事象を受け入れるか否かを描いた作品であり、ただ単にアクション映画で終わらせていないところが秀逸である。人間が持つ、さまざまな感情を丁寧に描いているという点においてもただのエンターテイメント作品ではなく、メッセージが込められているのがわかる。他民族国家のアメリカだからこそ出来た作品打とも言える。一見の価値有りです。

オススメ度 ★★★★★ エンターテイメント作品としても一流です

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2008年08月21日

エリザベスタウン



2005年11月公開

監督 キャメロン・クロウ
出演 オーランド・ブルーム キルスティン・ダストン

 誰しもが生きていく上で、大なり小なり挫折を味わったことがあるだろう。例えば、志望校に入れなかったり、仕事上でどうしても越えられない壁が立ちふさがる場合もある。そんなときに人は挫折を知り、それを乗り越えようともがき苦しむ。この物語は、そんな姿を叙情的に表したそんな物語である。

 あらすじは、シューズ会社に勤務するデザイナーのドリュー(O・ブルーム)はスニーカーのデザインに失敗して会社に約10億ドルもの損害を与えてしまい、会社をクビになってしまう。恋人からも距離をおかれ生きる望みを失ったドリュー。さらに追い打ちをかけるかのように父親が急死したと連絡が入る。そこで、彼は父親の遺体を引き取りにいくことになる。父親の故郷、ケンタッキー州のエリザベスタウンへと向かうのだが……。

 大きな挫折を経験して立ち直れるかどうかは本人次第である。ただ、その手助けとして友人なり恋人の存在が大きくなってくる。ふとした出逢いでキルスティン・ダスト演じる、客室乗務員のクレアと知り合いになったドリュー。複雑な思いを胸に秘めてあったことのない親戚たちに愛想をふりまかなければならない。そんな中で唯一心を癒してくれるのがクレアだった。次第に彼女に惹かれていくドリューだったが、挫折の痛手は大きく素直になりきれないでいる。

 ドリューの心の動きを描いているので、最初は揺れ動く感情のためか、多少ぎくしゃくしていく展開になるのだが、徐々に、彼の置かれている立場に共感を覚えていき、最後には感情移入してしまうという作品に仕上がっている。

 もし、自分がその立場に置かれたらと考えるといささか怖い。挫折を乗り越えようともがき苦しむ姿は観ているものも切なくさせてしまう。ドリューがいかにしてこの大きな挫折を乗り越えられたのかは、ほからなぬ、人と人との繋がりによって立ち直っていくさまを見て欲しい。観賞後は、ほのかに残る余韻と挫折からの脱却について考えてしまう。とても良い作品ですよ。

オススメ度 ★★★☆☆ 挫折を乗り越えた時に見える風景は何?

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2008年07月26日

オペラ座の怪人



2005年1月公開

監督 ジョエル・シューマカー
出演 ジェラルド・バドラー エミー・ロッサム パトリック・ウィルソン

 静かに見守る愛と、激しく求める愛がある。それが両者ないまぜになったときに悲劇は起きる。自分の手元にずっと置いておきたい独占欲。それは、見るものにとっては、時に腐臭を放つほどいかがわしく映る。

 この物語は1870年代、華やかな舞台でにぎわうオペラ座。一方では、仮面を被った謎の怪人ファントム(J・バトラー)の仕業と見られる奇怪な事件の頻発に人々はおののいていた。クリスティーヌ(E・ロッサム)はファントムを亡き父が授けてくれた”音楽の天使”と信じ、彼の指導で歌の才能を伸ばしてきたのである。それはファントムにとっては静かに見守っている愛であった。プリマドンナが自己に見舞われ役を降板することになる。その代役としてクリスティーヌは新作オペラの主演に大抜擢され、観客から喝采を浴びることに。そして幼なじみの青年貴族ラウル(P・ウィルソン)と再会を果たして喜びあう二人。だが、その直後、ファントムは愛するが故独占欲にかられ、クリスティーヌをオペラ座の地下深くへと誘い出すのだった……。

 最初は静かにクリスティーヌを見守っていたファントム。それがラウルの出現によって、徐々に彼女を独占しようとしていくさまは、哀れで、尚かつ、いかがわしく見える。とりわけファントムは顔の醜い傷によって仮面を被りオペラ座の地下深くで生活している。その心は、世間に対して憎悪を抱かせるに充分な土壌であったというに及びない。それとは対照的に青年貴族のラウルは非の打ち所がない。ラウルとクリスティーヌが惹かれあっていくさまを見たファントムは、やり場のない懊悩に包まれることに。やがてクリスティーヌを巡ってラウルとファントムとの激しいバトルが繰り広げられる。

 この作品の見所は、やはり、ファントム、クリスティーヌ、ラウルの三角関係だろう。どうしてファントムは歪んでしまったのか。届かぬ愛とは知らずに、ファントムは独り懊悩としている。そんな彼が、第二、第三の悲劇を起こしていく。それに加え、このドラマはミュージカル構成となっており、ネームバリューよりも歌唱力のある役者が集められ、全編、吹き替え無しで見事に演じて歌い上げているところだろう。

 絢爛豪華な衣装や次々次に変わっていく映像はとてもまぶしく、ヴィジュアルがこの悲劇を盛り上げるのに際だたせている。激しくも、どこか世俗的なファントムの愛は、哀れであり且ついかがわしく見える。これは、現代の世界でも通じるものがあるからだろう。ミュージカル映画が苦手な僕でも最後まで楽しめたのは自分でも意外である。

オススメ度 ★★★★☆ 絢爛豪華な衣装や歌に酔いしれて下さい

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2008年07月24日

オリバー・ツイスト



2006年1月公開

監督 ロマン・ポランスキー
出演 バーニー・クラーク ベン・キングスレー ハリー・イーデン

 したたかに生き延びようとするのは力強さを感じる。食べるものさえままならず着る服さえ着の身着のまま。舞台は19世紀イギリス。9歳になったオリバー・ツイスト(B・クラーク)は孤児であり、救貧院へと連れてこられる。彼は、夕食の席でお粥のお変わりを求めたばかりに委員の怒りを買って救貧院を追放処分となる。次に引き取られたのは葬儀屋である。ここでも彼は理不尽ないじめにあい、ついに家を飛び出すことに。行く宛てのないオリバーだが、ふと目をやるとそこには標識がありロンドンという文字が。70マイルも離れたロンドンへと歩いて目指すことに。一週間かけてようやくロンドンへと辿り着く。そこで彼は、フェイギン(B・キングスレー)が束ねる少年スリ団のリーダー、ドジャーと出逢う。オリバーはドジャーと行動を共にしていくのだが……。

 19世紀のイギリス。そこは食べることさえも難しい人たちがいた。スリまで働いてその日の糧を得ようとする少年たち。飽食の国日本で育った僕からは考えられないくらい貧しい。何としてでも生きようとする力強さは、今の日本ではなかなか見受けられない光景だ。現代においても食べることさえままらない国や人たちがいる。普段、それを意識することなく生活している僕がいる。大抵の人もそれは同じではないだろうか。そのことを対岸の火事のようにまるで他人事のように受け取る自分が恥ずかしい。

 この作品を通して、得られるのはそういった感情だ。お腹をすかせた子供たち。それを意識することなく生活を送っている。オリバーがおかれた立場は目を覆いたくなるくらいである。つまらないことで悩んでいる暇があれば、是非、この作品を観て頂きたい。僕も生活保護を受けてはいるものの、お金が少ない、ろくに食べれないといった愚痴が出る。しかし、この作品を観れば、如何に自分が愚かで矮小な人間かと思い知らされる。上を見ればキリがないし、下を見てもキリがない。どうやって日々暮らしていけば良いのか見失った時期にこの作品を観れたのは幸運としかいいようがない。全く身につまされる思いで一杯になる。今の生活に不満を持っている方には、一度は観てもらいたい作品である。何か考えを改めさせてくれる力を持った作品であることは間違いない。必見です。

オススメ度 ★★★★★ 今、一度自分の生活を振り返ってみてば如何だろうか?

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2008年07月16日

愛の流刑地



2007年10月公開

監督 鶴橋康夫
出演 豊川悦司 寺島しのぶ 長谷川京子

 誰かが誰かを愛するという行為はごく自然な摂理だ。ただ、愛するが故に愛する人に手をかけるという行為は極めて稀である。どうして殺してと冬香(寺島しのぶ)は菊治(豊川悦司)に頼んだのか?劇中ではそれが争点として描かれている。

 「あなたは私のために死ねますか?」と冬香が菊治にそう問いかける。まるで観客に問いているかの如く。人は人をそう簡単に愛せることは出来ない。そう連想させる台詞である。愛しているという言葉は口に出せても、その愛しているという証明としてあなたは何を求めますか?先の冬香のような言葉がでてくるのではないだろうか?

 「あなたは死にたくなるほど、人を愛せますか?」これは裁判の過程において織部(長谷川京子)に発した言葉である。この言葉から分かるように菊治も冬香を愛していたのだと。「愛しているから殺した」事件を担当する女性検事の織部は、菊治の言葉に困惑しながらも真相を追求していく。

 物語は、菊治のファンであるという人妻・冬香との出会い恋に落ちていった。逢瀬のたびに二人は激しく心と体を求めあう。そしてついに「首を絞めて」という冬香の言葉に応じてしまった菊治。「何故、男は女を殺したのか、そして女は死を望んだのか」そんな疑問を抱かせたまま裁判のときを迎える。

 そして法廷の扉が開かれ、今、愛と死の真相があきらかになる。

 この作品は渡辺淳一氏の同名ベストセラー小説をモチーフに描かれた作品。男女の愛の深層心理を官能的に書き綴ったラブストーリー。監督はこの作品ではじめてメガホンをとったTVドラマ界のベテラン・ディレクターの鶴橋康夫である。

 愛しているから殺したというほどまでに、人は人を愛することができるのだろうか。いやそもそも、そのテーゼが成り立つ前に男性側から観る主観と、女性側から観る主観はおのずと違ってくるだろう。そもそもその二極性から生じる感想の違いは大きいのではないだろうか?これは男女の愛の深層心理をアンチテーゼとして描かれた作品であって、いささか官能的ではありすぎる。それも演出のひとつなのだろう。観賞後も尾を引く作品に仕上がっている。あなたはこの映画を観て何を感じ取るのだろうか。これから観る人は何を感じるのだろう。そんな疑問を投げかけてくれる作品となっている。

オススメ度 ★★★★☆ あなたは死にたくなるほど人を愛せますか?

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2008年07月13日

硫黄島からの手紙



2006年12月公開

監督 クリント・イーストウッド
出演 渡辺謙 二宮和也 伊原剛志

 戦争の無意味さを僕たち世代は、頭では理解出来ていても、どこか対岸の火事のような視点でみてしまう。そういう意味では湾岸戦争ではバーチャルな戦争という側面もある。それはTVカメラによって何かしらゲームのような錯覚に陥ってしまう。かの太平洋戦争では記録フィルムが残され当時の若者たちがどんな思いを抱きながら戦場に向かったのか?それは余人に推しはかれるものではないはずだ。

 あらすじは、戦況が悪化の一途をたどる太平洋戦争末期。日本軍の重要拠点でもある硫黄島に新たな指揮官、栗林中傷(渡辺謙)が降り立つ。彼はアメリカ留学の経験を持ち合わせ、無意味な精神論が幅を利かせていた軍の体質を改める。そして合理的な体制を整えようとする。栗林の登場によって理不尽な体罰に絶望を感じていた西郷(二宮和也)はかすかではあるが希望を見出していく。栗林が合理的に進歩的な言動をするのに対して、古参の将校たちは反発を強めていく。そんな中でもロサンゼルス・オリンピックの馬術競技で金メダルをとった西竹中佐(伊原剛志)のような理解者も増えていくのであった。圧倒的なアメリカの兵力を迎え撃つために地下要塞を掘り進める。このトンネルこそが、栗林の秘策であった。最後まで生き延び本土にいる家族のために一日でも長く島を守り抜くことが大事である。「死ぬな」という栗林の命令のもと、5日で終わると思われた硫黄島の戦いは36日間にも及ぶ歴史的な激戦となる。

 時が経ち、2006年の硫黄島。地中から発見されたものは数百通にも及ぶ手紙であった。それは、61年前にこの島で戦った男たちが家族に宛てて書き残したものである。決して届くことのなかった手紙。彼らは何を思い、何を残したかったのだろうか?

 本作は、硫黄島での戦いを日米双方の視点から描く2部作の「父親たちの星条旗」に続く第2弾である。

 劇中では思わず目を背けたくなるシーンがある。お国のためにと言って玉砕の精神で自殺を次々とはかっていく。当時の思想としてはそれが当たり前だったのだろう。いや、そんなことを軽々しく言ってはいけない雰囲気がそこにはあった。恐怖におののきながらも自害していく姿は観ているものにとっても、それは痛ましいものであった。どんなに過酷な状況でも決して自分を見失わないように生きている西郷の姿には共感を覚える。

 富国強兵の名の下に、あらゆるものが犠牲となり、学徒動員などさまざまな側面を持っていた太平洋戦争。我々は、その意味を後世へと語り継がなければならない。夢半ばで散っていった若者たちの魂のために。

オススメ度 ★★★★★ 夢半ばで散っていた若者たちの生き様を観て下さい。

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2008年07月04日

オーシャンズ13



2007年8月公開

監督 スティーヴン・ソダーバーグ
出演 ジョージ・クルーニー ブラッド・ピット マット・デイモン

 今、現実世界で問題となっている友人が少なく引きこもり、仮想現実の世界へと逃避する傾向があるのはいろいろなニュースで周知の通りである。かくいう僕もそのうちの一人である。友人と呼べる人数も少ないのだが、やはり、ここぞというときには友人の存在は有り難いものである。そんな中、友人のために立ち上がろうとすることは素晴らしいことである。この作品は、そんなことを思い起こさせてくれるのである。あくまで、泥臭くなくスタイリッシュで尚かつクールな展開には思わず引き込まれてしまう。

 あらすじは、オーシャンズの古参のメンバーであるルーベン。彼は、これまで所有する全てのホテルで最高格付けの5つのダイヤ賞を総なめしてきた業界屈指のホテル王ウィリー・バンク(A・パチーノ)と共に、ラスベガスに巨大ホテルを建てようと共同経営を約束していた。しかし、突然バンクに裏切られる。そのショックで心筋梗塞に倒れてしまうい危篤状態となってしまう。その知らせを受けたオーシャンズのメンバーたち。彼らは、バンクに復讐を誓うことに。彼らの狙いはホテル「バンク」のグランド・オープンに合わせて、ホテルの最新セキュリティという評判を落とすことと、バンクを破綻させることである。実行不可能かと思われる危険なゲームを完璧なプランで迎え撃つことに。果たして、オーシャンズたちのリベンジは成功するのだろうか……

 完璧に練られた計画。その計画を遂行するにあたって問題が山積している。普通であれば諦めてしまうような障害があっても、友人のリベンジのため、知恵を絞って問題解決をしてしまうあたりは見応えがある。犯罪映画ではあるが見終わった後に爽快感が残る作品となって仕上がっている。何も深く考えずにオーシャンたちの活躍を単純に楽しめるのである。前2作もそうだが、クライマックスまで目が離せない。とにかくオススメです。

オススメ度 ★★★★★ とにかくクールでスタイリッシュな作品です。

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2007年05月06日

明日の記憶



2006年5月公開

監督 堤幸彦
出演 渡辺謙 樋口可南子 吹石一恵

 人は皆、齢を重ねて行くうちに記憶は曖昧になっていくものである。例えば、自分が大切だと思っている記憶までもが徐々に薄れていき色褪せていく。思い出すのに最初は10秒もかからなかったものが、時が経つにつれ30秒になり、やがて2〜3分ほどかかり、最後にはボンヤリと輪郭だけしか思い出せずにいたりする。

 記憶とは非常に曖昧なものである。そのために、我々は記録を残そうとする。それは、写真だったり、ビデオやメモだったりする。この行為は記憶を定着させるための外部記憶装置として考えても良い。写真やビデオ、メモなどをみて記憶の片隅から取り出すためだからである。

 この作品は、その記憶をテーマにしている。若年性アルツハイマーという病気を軸に物語が展開していく。広告代理店につとめる佐伯雅行(渡辺謙)。彼は仕事も充実していて、しかも一人娘の結婚も控えている。公私ともに忙しくもあり幸せな日々を過ごしていた。ところが、そんな幸せな状況に暗雲が立ちこめる。それは、最近、物忘れがひどくなり、同じものを何度も買ったり、芸能人の名前がでてこなかったりする。しかも倦怠感や疲労感を感じている。終には、重要なクライアントとの会議の変更すら忘れてしまっている。夫の身を案じて妻の枝実子(樋口可南子)は病院へ行くのを嫌がる雅行を説き伏せ一緒に行くこととなる。そこで、医師が下した診断は夫が若年性アルツハイマーというものだった。なかなか現実を受け入れられない雅行。そんな夫を妻の枝実子は受け止めて、2人で一緒に闘病生活を送る覚悟を決めたのであった。

 秀逸なのは、物語の前半で物忘れが些細なことから始まり、それが徐々に酷くなっていく状況を描き、病院の検査を事細かに描いている所にある。それによって観ているコチラも検査を受けている気分にさせて不安を抱かせることに成功しているのである。

 こういった経験はないだろうか。無意識に車のカギや携帯電話を置き、何時間かした後、必要な時にとっさに思い出せずに探しまわったということは、誰もが多かれ少なかれ経験していることだろう。かくいう僕も同様の経験は多い。なかなか思い出せない時は、帰って来てからの行動を思い出しながら追体験することによって見つけたりする場合がある。こういった経験をしているからこそ、若年性アルツハイマーという病気に対して畏れを抱く。

 記録を残していってもやがて徐々に記憶が薄れていき忘却の彼方へと誘うのである。劇中、佐伯が退職するさいに、営業課のメンバーが各個人のポラロイド写真にメッセージを書いて渡すシーンが描かれている。私たちは部長のことを忘れません。だから、部長も私たちのことを忘れないで下さいというセリフには涙を誘う。薄れていく記憶の中でも写真という外部記憶装置として思い出すキッカケになればという思いがヒシヒシと画面から伝わってくる。

 退職後、佐伯夫婦はあることがキッカケで喧嘩をしてしまう。その際、雅行は無意識に妻の枝実子に怪我をさせてしまう。僕が一番印象に残っているシーンである。怪我をさせことにより雅行は強烈な自己嫌悪を抱く。だが、妻の枝実子は冷静に、「あなたがやったんじゃないの。病気のせいなのよ」と優しく諭すシーンには胸をうたれる。病気を抱えている人にとっては、とても心に響く言葉である。

 このように、見所は随所にあり最初から最後までだれることなく、緊張感を持って観られる。若年性アルツハイマーを扱ってはいるものの、決して重たくはなく心地よさが残る作品となって仕上がっているのである。未見の方は是非観てもらいたい作品である。何度観ても良い作品といって良いのではないだろうか。

オススメ度 ★★★★★ 記憶というのは非常に曖昧なものである

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2006年12月11日

アンダーワールド2エボリューション



2006年 4月公開

監督 レン・ワイズマン
出演 ケイト・ベッキンセール スコット・スピードマン トニー・カラン

 人類のルーツはどこから来たのだろうか?や、日本人のルーツはどこから?といったような内容でTVの特番として、何度も取り上げられそういった内容のTV番組を一度はみたことはないだろうか?こういった人類のルーツ探しといったものは、我々の知的好奇心を刺激してやまない。永遠に解けない謎ともいえるテーマではないだろうか?

 このアンダーワールド2エボリューションでも同じなのである。前作で長老のビクターの陰謀を見抜いたセリーン。彼女はビクターを殺して追われる身となってしまう。何とか、この苦境を逃れようと混血種マイケルと共に、ヴァンパイアの始祖であるマーカスに真実を告げて助けを求めようとする。だが、マーカスは逆にセリーンらを襲撃してくるのであった。「何故襲われたのか?」その謎をひも解くためにセリーンとマイケルは両種族の創世にまつわる真実をつきとめようとするのであった。

 前作以上にすぐれたアクションシーン、それに加え、淫靡な雰囲気を醸し出していながらも映像が美しいため、その淫靡さが中和され美しいとさえ思える映像に仕上がっているのである。しかも、ヴァンパイアと狼男といえば、昔話といった先入観があるものの、前作と同様に、現代の武器にも精通し最先端のテクノロジーを使いこなすといったギャップが個人的には好きなところである。

 冒頭でも述べた通り、ルーツ探しというのは、この作品にとっても重要な意味合いを含んでいる。そのため物語に広がりを持たせしかも奥行きを感じさせることに成功している。闇の種族ともいえども、創世にまつわる真実がとても重要といえるのではないだろうか?非常に好感が持てる作品に仕上がっている。前作以上の出来上がりといっても過言ではないだろう。

オススメ度 ★★★★★ 我々人類は一体どこからきたんだろう?

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2006年11月08日

X-MEN2



2003年

監督 ブライアン・シンガー
出演 ヒュー・ジャックマン(ローガン(ウルヴァリン)) パトリック・スチュワート(プロフェッサーX) イアン・マッケラン(マグニートー)

 前作で、マグニートが企てた人類抹殺計画を未然に防いだX-MENたち。しかもテロの首謀者であったマグニートの幽閉も成功することとなる。これによって、人類との共存がはかれるかに思えたのだが、未だにミュータントたちに対する差別や偏見は根強く残っている。そんな中、謎のミュータントによる大統領暗殺未遂事件が発生する。これを機会に、人類はさらにミュータントたちが持つ力に恐れをさらに抱くこととなる。その結果、反ミュータント運動にはずみがつくこととなる。この運動の先頭に立つのは、ミュータントたちへの生体実験を噂されている元陸軍司令官で大富豪のストライカーである。彼の目的とは?この先、ミュータントたちに待ち受ける運命は?X-MENたちがたどる運命は……。

 シリーズものとして、不安なのが前作の出来が良かった分、次回作品の出来である。このような状況をうまく説明してくれているのが中島らも氏である。氏の「僕にはわからない」というエッセイの中で、”二代目はつらい”に掲載されているので少し引用してみる。

 「二作目が一作目と々水準かそれ以上のものを持っているケースは非常に少ない。(中略)制作者が同じ人間であるにもかかわらず一作目を乗り越えられない事情は(中略)まず受け手の側に過剰な期待感がある。そういう状況では100のものを作っても、七、八0ぐらいにしか感じてもらえない。一二〇の力を出さない限り”一作目の方が面白かった”となってしまう(中島らも著僕にはわからないから引用)

 ただ、この映画に関して言えば二作目であるにも関わらず、前作以上に見応え十分の仕上がりとなっている。

 前作で、人類抹殺計画を未然に防いだにも関わらず、ミュータントたちの置かれている状況は厳しい。偏見や差別から憎悪といった感情をミュータントたちは受けている。X-MENのメンバーたちも不当ともいえる仕打ちを受けながらもにも関わらず、人類との共存による平和への道を模索している姿は観ていて痛々しい程である。しかも、新しい敵としてストライカーによって、プロフェッサーXが不在時に、ミュータントたちのために作った学校にミュータント狩りが開始される。中世の魔女狩りを彷彿とさせる描写となっている。辛くも逃げのびたミュータントたちも、行く先々で不当な仕打ちを受けるはめになる。それに加え、前作以上に、ミュータントたちの悲哀や、ウルヴァリンの失われた記憶に関しても新たな展開をみせておりこの物語にうまく絡めてあり、おかげで中ダレもなく最後まで楽しめる作品として仕上がっている。オススメですよ!

オススメ度 ★★★★★ エンターテイメント作品としても最高です。

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2006年11月07日

X-MEN



2000年

監督 ブライアン・シンガー
出演 ヒュー・ジャックマン(ローガン(ウルヴァリン)) パトリック・スチュワート(プロフェッサーX) イアン・マッケラン(マグニートー)

 DNAの突然変異により産まれたミュータント。それは、超人的なパワーを持った進化した人類の姿でもあった。ミュータントの力に恐れを抱いた人類は、合法的に迫害できる「差別法案」の立法を目指すのであった。
 何とか、ミュータントと人類の共存を願うプロフェッサーXは、ミュータント集団”X-MEN”を率いていた。一方では、ミュータントの存在を認めない人類に対して業をにやしていたマグニートたちはテロ活動を企て人類滅亡をもくろむ。そんな、X-MENたちとマグニートたち両者は一歩も譲ることなく全面対決の様相をていすのであった。

 この映画で一番感じ取ってもらいたいのは、ミュータントたちの哀しさである。”人とは違った能力を持って産まれた”。ただ、それだけの理由で迫害されているのである。

 この構図は、現代社会でも見受けられるのである。それは、いじめの問題につながっている。その前に、今のいじめと昔のいじめの質が違ってきているという実態があるので、それについて触れてみたい。昔は、スポーツが出来たり、勉強に秀でていたりする子どもに対しては、周囲の子どもたちにも人気があったものだが、どうやら現在では事情が変わってきているらしい。いじめられるのは、昔、周囲に慕われたりした子どもが標的となっているとのことだ。
 その理由としては、「ウザイ」とのことである。なぜ、ウザイという気分になるのか?人は、自分よりも圧倒的に才能を持っている人間に対して、羨望のまなざしをおくる。ただ、その感情とは裏腹に嫉妬心、もしくは劣等感を抱く場合がある。その相反する感情をどう処理していいのかわからずに、いじめが発生しているのではないだろうか?それに加え、20年〜30年前では考えられない程、技術も発達している。一番、良い例が携帯電話である。携帯電話が普及していない時代では、必ずといっていいほど、友達の家に電話したりするときには、親が出てきたものである。しかも、電話をする時間も考えなければならないのである。
 ところが、現代では携帯電話が子どもにも普及し、直接子ども同士で連絡を取り合える状態になっている。あるTV番組で言っていて納得したのは、あるひとりの子どもをいじめる時に、その子に気付かれずにメールなどで他の子ども同士で連絡を取り合い、気付けば昨日まで普通に話していたのに、無視されるといった状況になっているというのである。この話しを聞いたときには、あまりにも便利になったがゆえの歪みが出てきているんだなと感じてしまったのである。

 ただ、何も子ども同士の間だけでこのようなやり取りが行われているわけではない。これは、逆に考えれば大人社会の縮図ともいうべき現象ではないだろうか?
 圧倒的な能力の差を見せつけられて感じる羨望感や劣等感、嫉妬、こういった得も言えぬ感情に苛まれて苦しんでいる大人の後ろ姿を子どもたちが見て感じ取っているからなのだろう。そのことを踏まえて考えないと、いじめというのは、劣等感や嫉妬といった感情の発露ともいうべき状態なので、恐らくなくなりはしないだろう。だけど、誰かが守ってくれているという安心感を与えることが出来なければ、今後もいじめは増えていくであろうし、いじめの質自体もいっそう陰湿になると、個人的には考えてしまう。

 話しが大分、横道にそれてしまったが、この作品の根底にはそういったいじめや差別に対しての啓示ともとれるべき描写が多々見受けられる。それは、迫害を受け続けるミュータントたちの存在や、迫害をしている人類。迫害を受けているミュータントたちに救いの手を差し伸べるプロフェッサーX。それとは反対に、その迫害に対して怒り・憎悪をたぎらせるマグニート。現代社会の縮図ともいえる作品に仕上がっているのである。

 この作品で忘れてはならないのが、ウルヴァリンの存在である。彼にはミュータントという意識はあるものの、過去の記憶が失われているのである。記憶と言うのは非常に曖昧である。本屋に行けば記憶に関する本や、記憶だけでは曖昧なので記録するために、ノート術や手帳術といったたぐいの本はざっと見渡しただけで何冊もあるのである。それぐらい曖昧な記憶でも、ふとした拍子に昔に聞いたことのある音楽や観たことのある映画、もしくはかいだことのある匂いといった感覚で、一気にその当時の記憶が鮮やかによみがえってくる。その普段は表層意識にまで出てこない記憶。しかし、脳はその記憶を覚えている。そういった記憶の積み重ねによって今の自分というものが確立されているのである。
 ウルヴァリンにとって、そういった記憶が失われているのである。一体、自分はどういった人間でどのような経験をしてきたのか?自分のルーツを確認することによって、自己の確立が出来ると信じている。そういった姿にはある種の悲壮感さえ漂わせている。

 と同時に、現代社会でよく聞こえてくるのが「自分探しのために旅に出る」という言葉。これは、自分でもそうだったのだが、今、自分がやっていることは何の意味もないし、将来何の役にも立たない。自分がやるべきことはこれではない。もっと違う何かがあるはずだ!と幻想を抱いていた時期がある。違う何かとはわからないままに。
 結局は、自分探しというのは、将来にむけて前向きに生きていると勘違いしていたのである。先にも書いたように過去の経験、普段、記憶の表面にも浮かび上がらないような経験。そういった数々の経験の集積によって今の自分が成り立っているということをわからずにいたのである。

 自分探しといったものは幻想とまでは言わないが、将来に目を向ける前にはまず、過去の自分を振り返ってみて、今自分は何が出来るのか、出来ないのかを把握して、未来の自分に対して地図を作成してやらなければならない。恥ずかしい話しだが、この年になってようやく気付いたのである。

 このように、この作品を通して見えてくるのは、自分よりもすぐれたものに対しての劣等感や嫉妬。羨望のまなざしでみてはいるものの、何か釈然としない感情。その感情の発露として行われる差別やいじめ。情報が溢れかえり、そのために、本来の自分の姿を見失い、漂流している人たち。これは、間違いなく、現代社会が抱えている歪みであったりする。この問題をわかりやすく、それでいて楽しめるエンターテイメント作品として仕上げているこの映画には、ただただ感服するばかりである。

オススメ度 ★★★★★ 楽しみならも自分自身を振り返れる作品です。

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2006年11月01日

エミリー・ローズ



2006年 3月公開

監督 スコット・デリクソン
出演 ローラ・リニー(エリン・ブルナー) トム・ウィルキンソン(ムーア神父) キャンベル・スコット(イーサン・トマス) ジェニファー・カーペンター(エミリー・ローズ)

 悪魔祓いを取り扱った映画として、まず、思い浮かべるのは「エクソシスト」や「コンスタンティン」である。オカルトホラーとしては王道ともいえるが、この「エミリー・ローズ」は、先にあげた2作品とはちょっと系統が違う作品といえる。というのも、この作品においては悪魔祓いがメインで描かれていないからである。では、何がメインなのかといえば、ムーア神父の過失致死罪を問う裁判の物語だからである。それを踏まえないと王道のような作品を期待していた人は肩すかしをくらった感じがするのではないだろうか?

 この作品を最大限に楽しむためには、以下の情報を是非ともおさえておきたいものである。

 それは、2009年5月に裁判員制度がはじまるということだ。簡単に説明すると、重大な刑事事件で、一審(地裁)のみ、裁判員として裁判に参加する制度である。この制度に照らし合わせて、この作品を鑑賞してみると、オカルトホラーとしては物足りなさを感じたものが、裁判を描いた作品として観れば、素晴らしく仕上がっているからである。

 あらすじは、ある日、ムーア神父が過失致死罪で起訴される。その理由とは、悪魔に呪われたという19歳の女子大生エミリー・ローズに対して悪魔祓いの儀式をした結果により、無惨な姿で命を落としてしまったからである。
 ムーア神父の弁護をするのは有能で野心家の女性弁護士エリンが担当する。検察側は、エミリーは精神疾患で薬の服用をやめさせたことが死因だと主張する。検察側の主張に色々と手を尽くすのだが、終始押され気味のエリン。起死回生の策として、証拠品として悪魔祓いを記録したテープと、エミリーが死の直前に書いた一通の手紙を出すのだが……。

 意外なのは、ムーア神父を弁護を担当するエリンは不可知論者(*1)である。しかも、検事はというと信仰心が厚い人物となっている。こういった皮肉な取り合わせが、物語に奥行きを与えている。

 裁判を扱った作品でよく見かけるように論点をズラして自分たちに有利に仕向けるような描写は見受けられない。このように論点をズラして裁判を進めたケースで思い出す事件がある。それは、O・J・シンプソン事件である。簡単に説明すると、元妻とその友人を殺害し、O・J・シンプソンの自宅周辺から得られた証拠により、彼の犯行と断定されるも、刑事事件なのに、人種差別を論点として展開して無罪の評決を勝ち取ったのである。

 この作品では、そういった論点をズラして有利に裁判を進めるといった描写はなく、オカルト(悪魔祓い)に対して正直に真正面から描いているのが非常に好感を持てる。至極の作品と言ってもいいと私は考えています。

 もし、自分が陪審員(裁判員)だったらという視点で観てみると、より一層この作品に対して入っていけるのである。検察側の主張にも頷けるところもあるし、弁護側の主張にも共感できたりもする。双方の主張も素晴らしいものであったが、一番印象に残ったのは、弁護士の言葉でもなく、検察側の言葉でもなく、ムーア神父の言葉や、エミリーの手紙であった。

 だけど、有罪か無罪かどっちに評を入れるのかと自分自身考えてみた。かなり悩んだが、有罪に評を入れるだろう。自分でも矛盾していると感じながらも、やはり過失致死罪ということを鑑みれば、ムーア神父にも過失があったと言わざるを得ないからである。(心情的には無罪なんですが……)

 見応えのある良質な作品なので、オススメですよ!

オススメ度 ★★★★★ あなたなら、どちらに評を入れますか?

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(*!)不可知論…超感覚的なもの、絶対的なもの、無限的なもの、神の存在などは認識することができないとし、いっさいの経験を超越した問題を論ずるのは無用であるとする哲学的傾向。
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2006年09月25日

阿弥陀堂だより



2002年

監督 小泉堯史
出演 寺尾聰(上田孝夫)
   樋口可南子(上田美智子)
   北林谷栄(おうめ婆さん)

〜東京に住む一組の夫婦。売れない作家の孝夫と大学病院に勤める医師・美智子。
美智子がパニック障害にかかったことをキッカケに東京を離れ、孝夫の故郷である信州の山村へと移ることにする。そこに住んでいるさまざまな人々との暖かい交流により、徐々に癒されていくのであった……〜

私たちは、普段の生活でどれくらい役割を演じているのだろう?

夫、妻、父親、母親、職場に行けば、上司、部下、同僚、友人、しかも、実家に帰れば、息子、娘という立場に早変わりしてしまったりする。

そんなことを踏まえて考えてみると、何が見えてくるだろう?

それは、知らず知らずのうちに私たちが、生活していく上でいくつもの役割を演じているということだ。

それぞれ、役割が違えば人に与えたい印象、与える印象は違ってくるはずである。
例えば、”人によく思われたい”、”いい印象を与えたい”、あるいは、”賢く思われたい”、”仕事が良くできる”など、そういったさまざまな感情を抱えている。

そのために、色々な役割という名の仮面をつけたワタシが複雑に絡み合って私たちは生活している。

私生活や職場において、それぞれの役割がバランス良く回っていれば問題ない。
ただ、あることがキッカケによりバランスが崩れてしまったら……。

個人的な事情で申し訳ないが、私もパニック障害まではいかなくともウツである。
ウツと付き合い始めてから、早いもので半年にもなる。

自分の感情を冷静に判断するとこうだ。

色々な表情を持ったワタシが自身を許せなくなり、社会との距離感がうまくつかめないのである。
そのために、人前に出るのが億劫になり、友人・知人・職場の同僚とうまく付き合えないのである。
ただ病院にも通い、精神安定剤と睡眠薬を処方してもらっており、現在では随分とラクにはなってきている。

この作品は、美智子のパニック障害がどのように寛解(*1)していったのかを描いている。そのため、全編を通して静かに時間が流れていくのである。

特に、劇的な効果を狙った場面もない。只々のどかで、おだやかに物語が進んでいく。

静かに流れていく日常、人と人との温かい交流をこと細やかに描いているので、知らず知らずのうちにジワッと涙が込み上げてくる。

本当に観ていて癒されていくのがわかる。

何気ない日常がどれほど大切なのか、何の打算も抱かない人との交流はこんなにも穏やかな気持ちだったのか、と気付かされることが多い。

非常に良い作品で、オススメです。

個人的にちょっとだけではあるが、勇気をもらえた作品である。
あと、切に願うのは、「自分にとっての穏やかな時間」をどのように作り確保していくかである。

オススメ度 ★★★★★ 少しだけ歩みをゆるめてみませんか?

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(*1)寛解…病気の症状が、一時的あるいは継続的に軽減した状態。または見かけ上消滅した状態
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2006年07月04日

姑獲鳥の夏



2005年

監督 実相寺昭雄
出演 堤真一(京極堂(中禅寺秋彦)
   永瀬正敏(関口巽)
   原田知世(久遠寺涼子/梗子)

〜昭和27年の東京。雑司が谷にある医院に奇妙な噂が流れる。その医院の娘が20ヶ月もの間身ごもったままだという。しかも、彼女の夫は1年半前に密室からこつ然と姿を消したままだという。ひょんなことから事件に関わることになった小説家の関口、探偵の榎木津らをも巻き込みながら、思いがけない方向へと事態が進むのであった……〜

この映画は、京極夏彦原作の古本屋にして陰陽師である京極堂が憑物落としによって事件を解明していくシリーズの第一作目にあたる「姑獲鳥の夏」を映像化した作品である。

とかく、原作が素晴らしければ素晴らしい程、映画化することによってその作品は原作と比べられてしまい、原作ファンはもとより知らない人でも評価が低いことが多い。

やはり、期待が大きくなってしまうため観客となる我々も、見る目が厳しくなってしまうというのが正直な気持ちだろう。

しかし、映画というのは決められた時間でまとめなければならないため(しかも、京極夏彦の作品と言えば、どの作品をとっても情報量が多いのである。)脚本をするにあたり、どの部分をカットするのかが重要となる。

ここで、評価が二分されてしまうのである。熱烈な原作ファンであればある程、何故、あの部分をカットしてしまうのか、後は、配役が気に入らないとか、色々と不平不満が出てくるのは仕方がないことである。
また、原作を読んでいない人でも、わかりやすいように作られているものもあれば、説明不足のものもある。

さて、この作品に至ってはどうだろうか?

個人的には、満足とはいかないものの、不満とも言えない作品である。
京極夏彦の作品の良さと言えば、やはり膨大な情報量にあり、その中でかわされる京極堂と関口との会話であったり、憑物落としをしている際に発される言動である。理路整然とやや詭弁ともとれる会話であったり説明がされたりする所が魅力であると考えています。

そういう意味では物足りなさを感じたものの、先ほど述べたように、映画とは時間との闘いという側面もあるので、巧くまとめたものだと感心しています。

一方、原作を読んでいない人が観た場合は、かわされている会話が少しだけ難解に聞こえるかもしれません。説明不足といった感も否めません。
ただ、この作品をみて少しでも原作に興味を持たれた方がいらっしゃれば、一度手にしてみるのも悪くはありません。もちろん、興味を持てないとおっしゃる方も原作は面白いのでオススメですよ!

原作についても、今度レビューを書きますので興味のある方は読んで下さいね。(少し先になりますが……)

オススメ度 ★★★☆☆ この世には不思議なことなど何もないのだよ。

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2006年05月16日

アンダーワールド



2003年

監督 レン・ワイズマン
出演 ケイト・ベッキンセイル(セリーン)
   スコット・スピードマン(マイケル・コーヴィン)
   シェーン・ブローリー(クレイヴン)

〜吸血鬼(ヴァンパイア)と狼男(ライカン)の間で、永きにわたり戦いが行われていた。しかし、その戦いもライカンのリーダーを倒したことにより、最終局面を迎えようとしていた。
戦士としてしか生き方を知らない女戦士セリーン。彼女は戦いが終わった後の生き方について一抹の不安を覚える。
そんな不安を抱えながらも、狼男を倒すため、よごと街に出かけている。
そんな、ある雨の夜、ライカンたちの動きに違和感を覚えるセリーン。原因を探ると人間の青年医師マイケルを追っていることに気づく。
一族のリーダーであるクレイヴンに報告するも、大した問題ではないと片付けられる。しかし、セリーンはその態度に不信感を抱き、独自に調査に乗り出すが……〜

この映画は、人間の未知なる世界“アンダーワールド”を舞台に、何百年にわたって続く吸血鬼(ヴァンパイア)と狼男(ライカン)の壮絶な闘いを描いたアクション・ゴシック・ホラー作品である。

吸血鬼の世界を中心に描いているので、劇中では夜の世界がメインである。全編を通して暗い雰囲気が漂う。

しかし、暗さの中にもコントラストがきいているために、セリーンの黒を基調とした服装や銃撃戦およびアクションシーン。これら全てにおいて、非常に映像が美しく、しかも鋭い印象を受ける。

ただ、ひとつ不満なのが狼男(ライカン)のヴィジュアル面であり、描かれ方である。

というのも、個人的には狼男について非常に思い入れがあるためだ。

その背景にあるのが、学生時代に嵌まって何度も読んでいた平井和正氏のウルフガイシリースによるものである。
そのシリーズの主人公である、狼男である犬神明のキャラクターに強く惹かれているためである。

少年時代のストイックなまでの性格から、大人になった犬神明のいい加減ともとれるが、どこか憎めない性格。どれをとっても、僕にとっては魅力的なキャラクターなのである。

そんな、思い入れがあるので、狼男が悪役というか敵役になると平静でいられなくなる。

ただ、そんな思い入れを差し引いてみると、やはり良い作品に仕上がっていると考えるのである(悔しいけど!)。

ただ、この作品をみた正直な感想としては、やっぱりウルフガイシリーズは最高!と再確認しながら、本棚から小説を取り出してしまった。

今回は、映画の感想とは程遠い内容になってしまい、スミマセン。

でも、この映画は本当にオススメですよ!

オススメ度 ★★★★☆ 映像の美しさを堪能してください!

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2006年05月09日

海猿



2004年

監督 羽住 栄一郎
出演 伊藤 英明(仙崎大輔)
   伊藤 敦史(工藤 始)
   藤  竜也(源 太郎)

〜すべての海上保安官の中で、わずか1%しかいない人命救助のエキスパートである”潜水士”。常に死と隣り合わせである職務であるから、壮絶な訓練が課せられる。そのため、訓練を受ける資格があるものは、当然選りすぐられた若者たちになる。その一人、仙崎も海難救助の精鋭を目指すべく研修に挑んでいる。マスターライセンスを持つ仙崎は、主任教官の源からの指示により、工藤とバディを組むこととなる。工藤は仙崎とは正反対で、何をするにしても仙崎の足を引っ張ることになるも、工藤の訓練にたいする姿勢や純粋な動機で潜水士の道を選んでいることに気づき、励まし合いながら訓練を消化していく。
そんな矢先に、ある悲劇的な事故が発生することに……〜

この作品は、「ブラックジャックによろしく」の著者・佐藤秀峰氏が週刊ヤングサンデーで連載していたコミック「海猿」を実写映画化したものである。

やはり見所といえば、悲劇的な事故によって、自信を失い自分までも見失った仙崎が、自分を見つめ直し自信を取り戻す過程が描かれている点につきる。

失った自信を取り戻すということは、言い換えれば、新たに自分の中で自信を積み上げらなければならないということだ。

自信を積み上げるということは、ひとつひとつレンガを積み上げていき壁を作る作業と捉えればわかりやすい。

さまざまな出来事を経験していき、成功した体験によって自信がつく。逆に失敗しても、ひとつの糧とて捉えることができれば、それもひとつの成功として捉えることが出来る。

そうした、ひとつひとつの積み重ねが自信や信頼につながっていき自分の行動を決定するひとつの指標となりうる。

このように、自信を得るという作業は非常に根気がいるため、一旦、ある出来事や事故によって、自信を喪失したり、自信をなくしそうな場面に遭遇すると、自分の行動が制限されてしまう場合が多々ある。

というのも、自信を積み上げていくという根気のいる作業の辛さをイヤというほど骨身にしみているから、自信を失うことを畏れて、行動がワンテンポずれたり、出来なくなったりする。

それは、ある意味、苦労して積み上げた壁が、一瞬にして崩壊することにつながるからだ。その崩れ去ったレンガを前にして、途方に暮れてしまう。そのような状況に陥ったときに、ボクも含めて大抵の人は、ある時は逃げ出してみたり、ある時は茫然自失となりため息しか出ない状態になってしまう。

要するに現実逃避をしてしまう(人によって程度は違うが)。

いつまでも、崩れたガレキを目の前に立ち尽くすだけじゃ、前には進めない。
そんなことは、他人に言われなくても十分にイヤというほど自分では理解している。ただ、キッカケがつかめないでいるだけ。

そんなときに、この映画を観ると、現実逃避から目を覚まさせ、もう一度、ひとつひとつ壊れた壁を見上げて、新しいレンガを手にとって修復しようじゃないかと、前向きな力を与えてくれたり、背中をそっと押してくれる勇気を与えてくれる作品に仕上がっているのである。

オススメ度 ★★★★★ 自信は、自分の手でしか積み上げられないもの。

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2006年01月06日

阿修羅城の瞳



2005年

監督 滝田 洋二郎
出演 市川 染五郎(病葉 出門)
   宮沢 りえ(つばき)
   樋口 可南子(美惨)

〜時は文化文政。江戸の町では町人文化が栄えていた。そんな華やかともいえる町の裏側では、人の世を滅ぼそうと鬼たちが暗躍していた。
鬼たちを束ねる美惨(樋口可南子)は、人々から鬼の王と畏れられている阿修羅の復活を目論んでいた。
一方で、人間側も、鬼たちを殲滅するために鬼御門を結成する。彼らは、人の姿を借りた鬼たちを見極める能力を持ち、しかも、優れた剣術を持っており、鬼たちと終わりなき戦いを続けている。
そんな中、5年前のある事件をきっかけに鬼御門を退いた出門(市川染五郎)。現在、彼は舞台役者として活躍しているが、そんなある日、出門はふとしたきっかけにより、渡り巫女のつばき(宮沢りえ)と出会い、恋に落ちるのだが・・・〜

この映画は、2000年に上演された舞台作品、「阿修羅城の瞳」を映画化した作品です。

この作品は、恋物語をメインに据えておきながらも、阿修羅の復活という題材を上手に絡めてあり、非常に見応えのある仕上がりとなっています。

見所は、何といっても出門とつばきの禁断とも言える恋の行方です。
鬼殺しの出門と、阿修羅の生まれ変わりという悲しい宿命を背負ったつばき。そんな二人が出会い恋に落ちていき、数奇とも言える運命に翻弄されていく悲しくて切ない恋物語になっている所です。

それに出門を演じる、市川染五郎の立ち居振る舞いは素晴らしく、ハッと息を呑ませるような表情や仕種。やはり歌舞伎役者と思わずうなってしまうほど美しく感じてしまいます。
つばきを演じる宮沢りえも美しく、色気を漂わせており、妖艶といっていいほどの魅力を醸し出しています。

全体を通して言えるのですが、セリフの言い回しなどは大袈裟とも言えるのですが、どこか役者も楽しんで演じている様子が画面から感じ取れるので、嫌味にはならず、すんなりと受け入れます。

映像は最新技術を駆使しているのにもかかわらず、どこか安っぽいと感じてしまします。
というのも、殺陣のシーンは、まだ見られるのですが、セット丸出しという場面が多々見られたのがマイナス要因となっているんでしょうね。
ただ、舞台の雰囲気を出したかったのだろうと、ここは好意的に解釈しています。

個人的に、最も印象に残っているのは、「自分の中に鬼を見てしまった。」と言った出門のセリフです。
その言葉に、隠されているのは・・・?

現在の社会、事件を通して色々な鬼が心の中に巣食っているのが見えてきます。
例えば、自分の子供を殺してしまう親。その反対に親を殺してしまう子供。それ以外にも残酷な犯罪や、会社の利益優先のために個人の存在を軽く見る企業・・・。
数えあげて行けば、キリがないくらい色々な鬼が巣食っています。そんな現在の社会こそ、鬼御門のような存在が必要ではないかと考えたりもします。

まず、その前に、自分の心に巣食っている鬼退治をしないといけないですけどね…。

オススメ度 ★★★☆☆ さぁ、みんなで鬼退治。鬼退治。

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2006年01月03日

APPLESEED〜アップルシード〜



2004年

監督 荒巻 伸志
出演 小林 愛(デュナン・ナッツ(声))
   小杉 十郎太(ブリアレオス(声))
   松岡 由紀(ヒトミ(声))

〜西暦2131年。世界中を巻き込んだ非核大戦が勃発する。主だった都市は破壊され尽くし、大きな傷跡を残して戦争は終結する。
戦争の終結を知らないまま戦い続けるデュナン・ナッツ。ある日、彼女は何者かに捕らえられ連行される。行き先は、人類最後の希望都市とされる“オリュンポス”。そこは、“バイオロイド”と呼ばれる、ヒト社会の安定を目的に造られたクローン人間が存在し、人口の半分を占めていた。
昨日までの戦場とは全く違う風景に戸惑うナッツ。だが、彼女を待ち受けていたのは、新たな戦いであった・・・〜

この映画は、士郎正宗が1985年に発表したメジャーデビュー作『アップルシード』を3Dライブアニメという世界初の手法で映像化した作品です。

さすがに映像は、3Dライブアニメというだけあり、戦闘シーンなどは素晴らしいです。
ただ、人物の表情や動きとなると、無機質な感覚がありどうも違和感を覚えてしまいました。

この作品では、ヒトとバイオロイドとの「共存」について語られていきます。
「共存」とは、辞書で調べると、二つ以上のものが一緒に生存したり存在したりする。となっています。では、「共存」出来ない世界とは・・・。個人的には、「対立」と考えます。

人は何故争うのか?

その理由として、憎しみやねたみという感情に突き動かされて、その上に、理想的な大義名分を加えることにより、正当化を図り、対立を深め争いへと発展していくと考えられます。

このような構図は、世界規模で考えると、内戦や内乱が起こったりしています。理由は、人種差別であったり、異なる宗教間によって争いが起こったりしています。また、同じ宗教内でも権力争いが起こったりもしています。
このように、大きな視点から考えるのも良いが、あまり実感がわかないのが正直な気持ちです。

そんな時には、やはり、普段の生活に当てはまると実感が湧いてきたりします。

ひとつの事柄に対して、意見や価値観の相違によって生じる不和。例えば、仕事に置き換えて考えてみると分かりやすい。
あるプロジェクトに関して、仕事の進め方について意見が分かれ上司や同僚と対立したと仮定してみる。
AかBかという二者択一を迫られた場合、「共存」という点を考えれば、どちらかに合わせるということは非常に重要である。

しかし、個人的には第3の道を模索していくというのも、これからの時代、必要ではないかと考えてしまいます。というのも、どちらが正しくて、悪いというのは、自分の立ち位置が変われば、見方も変わるからです。

このように、映画というフィルターを通して、普段の生活から、世界の現状を考えてみるという鑑賞の仕方をしてみると、また違った角度から映画と付き合えて意外と楽しいものですよ!

オススメ度 ★★★★☆ 視点を変えてみるのも一つの手段です。

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2005年12月27日

イノセンス



2004年

監督 押井守
出演 大塚明夫(バトー(声))
   田中敦子(草薙素子(声))
   山寺宏一(トグサ(声))

〜2032年、人々の脳が電脳化されネットワークに直接接続でき、身体の擬体化も進みアンドロイドと共存している世界。
少女型の愛玩用アンドロイドによる持ち主の殺害事件が多発。事件を担当することになった公安9課のバトーとトグサは、捜査を開始する。〜

この映画は、1995年に公開された、押井守監督「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」の3年後を描いた作品となっています。

この作品で、印象に残っているのは映像の美しさもさることながら、前作以上に自己の存在意義を問いかけている点です。

自己の存在意義を確認するためには、他者と自分との距離感が非常に重要視される。

「私」という存在は、「どのように見られているのか?」「必要とされているのか?」
といった具合に・・・。

インターネットの仮想空間では、現実社会にあるさまざまな物理的制約はないに等しい。
しかも、全ての境界があいまいであり、他者との距離感もあやふやである。
そんな仮想空間で、自己の存在意義を確認するには他者とのつながりを感じることである。
その為に、必要以上に攻撃的になったり、共感を求めたりする場合もある。
一方、現実社会でも同じようなことがいえる。ただ、傷つくことを畏れるあまりに、必要以上に他者との距離をとろうとしているのも、また、現実社会では見られる光景である。

非常に難解な問題であり、解答が得られないのである。しかし、個人的にではあるが、劇中で草薙素子が語っている最後のセリフに注目したい。

葛藤」(*1)という言葉である。

この一言に込められた想いとは?

私たちが、日々生活していくなかで体験している小さな問題から、自分の人生を左右する問題に対して、さまざまな葛藤が生じていく。
そんな中で、選択した結果によって、他者との距離感が近づいたり、離れていったり・・・。
その全てを受け入れることにより、自己の存在意義を確認できるのでは?
少なくとも、私にはそのように考えました。

自分自身、このように答えを出したところで、間違っているのか、正解なのかはわかりません。
しかし、生きていくうえで「葛藤」というのは確かに存在しており、今後も私の生活の中では、葛藤し続けることでしょう。
その選択した結果が、良くても悪くても・・・。

オススメ度 ★★★★☆ たまには、自分自身の存在意義を考えてみるのも・・・

ランキング今日は何位?

(*1)「葛藤」・・・心の中に相反する欲求が同時に起こり、そのどちらを選ぶか迷うこと。

posted by Genken at 22:02| 兵庫 🌁| Comment(6) | TrackBack(0) | 映画(あ行) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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