ライターの募集・求人・登録なら【ブログライター】 Webライティングセンター

2008年08月22日

ブロークバック・マウンテン



2006年3月公開

監督 アン・リー
出演 ヒース・レジャー ジェイク・ギレンホール ミシェル・ウィリアムズ

 どこにも行き場所のない愛ほど辛くて切ないものはない。男同士による禁断の愛を描いた本作品。決して結ばれることの出来ない二人の関係。イニス(H・レジャー)とジャック(J・ギレンホール)。それぞれが家庭を持ち、やがて子供も産まれる。お互い頻繁にはあえなくて、その上保守的な土地柄のせいもあり禁断の愛など許されるはずもなかった。そんな厳しい現実が待ち受けている中でも二人の愛はとどまることを知らなかった。ジャックとの関係と妻との愛情に心揺さぶられるイニス。寡黙で不器用な生き方しか出来ない男であった。一方のジャックはイニスとは正反対で底抜けに明るく天衣無縫の男であった。

 そんな正反対な二人だが、20年以上もその愛を途切れさすことはなかった。二人の愛を際だたせたのが、お互いの妻の存在であった。とくにイニスの妻であるアルマ(M・ウィリアムズ)が夫のもうひとつの顔を知ったときの表情。どこにもやり場を向けられない嫉妬や怒り。狂おしいほどまでの愛情や憎悪を丁寧に且つ慎重に描いている。ここにもやはり行き場所のない愛が描かれている。

 誰かを真剣に長い間愛する。その行為は一見して簡単そうに思えるが、現実はそう上手くはいかない。例えば長年連れ添った夫婦の間柄で愛情も何もかも失い、熟年離婚などが起きている現象を見ればわかる。

 だからこそ、この作品で描かれている愛はたとえ男同士だったとしても、とても純粋で羨望の眼差しで観てしまう。決して結ばれることのなかった二人。その間に流れていたのは無情の愛であった。なおさら、ラストシーンは目に焼き付いて離れない。これまでに純粋でひたむきな男同士の恋愛映画を未だかつて観たことのない作品であるのは間違いないだろう。一見の価値がある映画とも言える。

オススメ度 ★★★★★ これほどまでに真剣に愛せますか?

ランキング今日は何位?
posted by Genken at 08:33| 兵庫 ☀| Comment(0) | TrackBack(3) | 映画(は行) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月12日

Vフォー・ヴェンデッタ



2006年4月公開

監督 ジェームズ・マクティーグ
出演 ナタリー・ポートマン ヒューゴ・ウゥーヴィング スティーヴン・レイ

 もし、表現の自由、言論の自由を奪われたらあなたならどうするだろう。ただ、ジッと鳴りを潜めて生きていくのだろうか。誰もが距離を持ち、政策や体制の不満を胸に潜め生きていくのではないだろうか。独裁国家によって持たらせる悲劇。表向き平等な社会と秩序ある社会を標榜しながら、絶対的権力により、市民の自由を奪う矛盾した世界。その世界を解放すべく、たった一人で革命を起こそうという人物がいた。それがV(H・ウィーヴィング)であった。

 時代は、近未来のイギリス。そこは独裁者アダム・サトラー(J・ハート)が支配するファシズム国家であった。テレビ局で働くイヴィー(N・ポートマン)はある日、外出禁止時間に表通りを歩いていたところを運悪く秘密警察に捕まってしまう。窮地にたたされたイヴィーを助け出したのがVと名乗る仮面男に救われる。しかし、その男は、たった一人でサトラー政府に反逆を誓うテロリストであった。次第に、Vのテロ活動に深く巻き込まれていくイヴィー。やがてイヴィーは真実に目覚め自由と正義を取り戻すため革命のために立ち上がるのであった……。

 独裁国家にとって、市民が自由を手に入れることは非情に都合が悪い。メディアによって情報は改ざんされて、毒にも薬にもならない情報が垂れ流されていく。そんな状況下において、一人政府のもつ欺瞞を明らかにすべく立ち上がっていく姿を非情に丁寧に描いた作品である。かつて日本も同じように、戦時中メディアは検閲を受け、自国の政府の都合のいいように情報が改ざんされた経緯がある。声高に、政府が抱えている欺瞞を叫ぼうものなら、非国民となじられ投獄される時代であった。

 この作品が秀逸なのは、独裁国家が孕む危険性を描きながら、同時に市民たちの感情、葛藤を丁寧に描いているところである。日頃、思っていることを口に出せない苛立ちを仮面をくばることによってその感情を解放させるシーンは圧巻である。と同時に9.11同時多発テロによって引き起されたアメリカが中心となって押し進めてきた政治体制に対して強い懸念を反映させた仕上がりとなっている。ともすれば、アメリカもこのように独裁国家としてなり得た可能性を指摘しているところが特筆すべきところであろう。テロを許せない感情は分かるが行き過ぎれば自分たちがその罠に陥る危険性があることに、少しでも懸命な方は気づくであろう。

オススメ度 ★★★★★ 言論と表現の自由の有り難みを感じて下さい

ランキング今日は何位?
posted by Genken at 12:12| 兵庫 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | 映画(は行) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月05日

プライドと偏見



2006年1月公開

監督 ジョー・ライト
出演 キーラ・ナイトレイ マシュー・マクファディン ドナルド・サザーランド

 言葉足らずで時に人はあらぬ誤解をうけることがある。本人にその気がなくても高慢な態度と捉えられることが多々ある。人見知りの性格が災いをもたらすのもそういう時だ。人見知りするが故言葉が上手く出てこずぶっきらぼうな態度が、相手に対して無愛想な印象をもたれてしまう。そんな不器用な男ダーシー(M・マクファディン)は、5人姉妹の侍女エリザベス(K・ナイトレイ)に悪印象を与えてしまう。さらにあらぬ誤解からダーシーへの嫌悪感をますます募らせるエリザベス。そんな二人が不器用ながらも、お互いに何故か気になる存在へとなっていくのだった……。

 この作品はジェーン・オースティンの「高慢と偏見」を映画化した文芸ラブストーリーである。18世紀末のイギリス。女性に相続権がないため、父親が死去した場合遠縁の男子が家も土地も継いでしまう時代。そんな時代に娘ばかり5人いるベネット家。母親はなんとか娘たちを資産家と結婚させようと躍起になっていた。そんな時代にも関わらず、見栄をはることも、男性に媚を売ることもせず、独立心が強い女性エリザベスを、キーラ・ナイトレイが素晴らしい演技で魅了して、主演女優として最後までこの作品をひっぱった。見事の一言に尽きる。

 高慢だと偏見をもったところから、その偏見をなくすまでの物語である。最初は小さな誤解から始まり、さらにエスカレートしてしまう。いつになったら二人の間に出来た溝が埋まるのか。観ているコチラとしてはこの作品にすでに引き込まれているのである。まるで文学作品を読んでいるかのようである。一言一言の台詞に重みがあり且つ伏線となって散りばめられている。まさに至極の作品と言えよう。一件すると地味な印象を受けがちだが、キャストの好演、飽きさせない脚本、練りに寝られているといった感じだ。後味の良い作品に仕上がっています。未見の方は是非観てもらいたい作品です。

オススメ度 ★★★★★ 至極のラブストーリーを堪能して下さい

ランキング今日は何位?
posted by Genken at 14:46| 兵庫 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | 映画(は行) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月04日

フラガール



2006年9月公開

監督 李相日
出演 松雪泰子 豊川悦司 蒼井優

 時代が大きく変貌をとげるとき。その流れについていく者や、頑なに拒む者もいる。だが、頑なに拒んだところで大きく時代がうねる流れには逆らえない。それは昔も今も変わらない。変化が持たらす影響はときに計り知れないほど大きい。何も時代の流れだけじゃなく、ちょっとした暮らしの中での変化でも同じことが言える。例えば、仕事上どうしても変えなければならない懸案事項があったとする。そのことについて、当然反発が起きるのである。というのも、人は基本的には現状維持の方が楽だからである。それが会社にとって利益を産み出し個人に還元されることを潜在意識の中では分かっていても、今の生活を大きく帰られたく変えられたくないから、必ず衝突が起きる。これはある意味仕方のないことではある。

 時は昭和40年。福島県いわき市の炭坑町。時代の流れは石炭から石油へと変わっていき、閉山が相次いでいた。街は先細りの一途を辿っていく。そこでどうにかしようと豊富な温泉を利用したレジャー施設の建築が計画された。常磐ハワイアンセンターとなづけられた施設の目玉としてフラダンスショーのダンサー募集が地元の少女たちに対して行われた。東京からプロのダンサー平山まどか(松雪泰子)が呼ばれ、地元の少女たちに教えようとするのだが、教える相手がズブの素人と分かり、やる気を失ってしまう……。

 松雪泰子演じる平山まどかも東京から福島県の田舎町にたどり着いて変化に戸惑う。最初は教える気などなかったまどかだが、少女たちが持つ現状を変えたいという強い意志によって次第に心境の変化が訪れる。一方、すたびれていく炭坑の街を変えたいと強く願う紀美子(蒼井優)。変化を畏れる母との葛藤や、兄洋二郎(豊川悦司)の戸惑い。どれをとっても変化を持たらすものばかりであった。それは何も個人だけの問題ではなく、町も時代の流れによって大きく変化を求められているのであった。相次ぐ閉山によって労働者たちのリストラ。それに歯止めをかけようと観光施設を作って町を救おうとする人たち。それを受け入れられない人たちの心の葛藤を丁寧に描いている。

 変化を嫌う人たちが、徐々に変化を受け入れていく場面もすばらしいものがある。それでいてラストシーンでのフラガールによるダンス。息をもつかせぬ出来栄であり圧巻である。このようにこの作品を変化というキーワードで観ていくと、時は違えど現代の社会でも当てはまるのではないだろうか。めまぐるしく変わる現代社会。それにうまく適合するものもいれば、出来ないものもいる。この作品から放たれているメッセージ。変化を畏れるな。そう言われているような気がしてならない。今一度、変化を畏れず絶え間なく自分を変えていかなければいけないと教えられた気がする。

 この物語は、現在「スパ・リゾート・ハワイアンズ」に改名した元「常磐ハワイアンセンター」誕生実話を映画化したものであるから、余計に実感がこもっているのかもしれない。実話を元にしているだけあって感動もひとしおである。必見です。

オススメ度 ★★★★★ あなたは変化を畏れていませんか?

ランキング今日は何位?
posted by Genken at 09:02| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | 映画(は行) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月02日

プルーフ・オブ・マイ・ライフ



2006年1月公開

監督 ジョン・マッデン
出演 グウィネス・パルトロー アンソニー・ホプキンス ジェイク・ギレンホール

 誰しもが情緒不安定な時期を経験する。その時身内に精神を病んでいる人がいたらどうだろう。私も同じ病気かもしれないと不安にならないだろうか。

 この作品はデヴィッド・オーバーンのピュリッツァー賞を受賞した戯曲を映画化した作品である。あらすじは、天才的な数学の才能を持つ父ロバート(A・ホプキンス)が精神のバランスを崩してしまう。その彼を看病するためキャサリン(G・パルトロー)は大学をやめる。5年ともに暮らしてきたロバートとキャサリン。しかし、ロバートは一週間前に不帰の人となる。悲嘆にくれるキャサリン。

 そんな彼女のもとに、ロバートのかつての教え子ハル(J・ギレンホール)が現れる。ロバートが書き残した百数冊ものノートを検証するためだった。そんなハルを疎ましく思いながらもどこか気になる存在であった。いつしか二人は恋に落ちる。キャサリンはロバートのデスクの鍵をハルに渡す。そこにあったのは、これまで誰もなし得なかったある定理の証明が記されていたのだった。それを見たハルは興奮するも、キャサリンは、それは自分が書いたものだと主張するのだが……。

 人は誰でも自分はまともだと考えている。だがこの作品で描かれているように、介護疲れからくる情緒不安定。天才的な数学の才能を父から譲り受けており、精神のバランスをいつか自分も崩すのではないかという恐怖感出さらに不安は加速する。。自分もひょっとしたら父親と同じ病かもしれないといういわれの亡い恐怖感。それが引き金となり、さらに情緒が不安定になり、ヒステリックになる。

 ラストシーンでキャサリンはこう呟く。「振り出しに戻ってやり直そう。1行ずつ検証すれば、遠回りを省ける。前向きに生きよう」と。彼女は混乱した意識の中で前向きに生きる術を模索し続けていたのである。それが、やっと形となり、前向きに生きる決心をするのであった。もし、今、自分が情緒不安定な人や、実際に精神を病んでいる人が観れば、一条の光が射す作品となっている。観賞後は何か救われたような気になり余韻に浸れる。人生に疲れている人にとっては癒される作品となって仕上がっています。そういう方に是非観てもらい作品です。

オススメ度 ★★★★★ 心が癒される作品となっています

ランキング今日は何位?
posted by Genken at 12:54| 兵庫 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | 映画(は行) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月19日

バイオハザードV



2007年11月公開

監督 ラッセル・マッケイ
出演 ミラ・ジョヴォヴィッチ オデッド・フェール アリー・ラーター

 昔にみたゾンビのホラー映画。殺しても殺しても死なないゾンビ。確かスーパーマーケットで戦いが繰り広げられていたように覚えている。最初に観たときの恐怖感は忘れがたいものがある。当時中学生か高校生かどちらかハッキリとは覚えていないのだが、夢にまで出てきたほどの恐怖であった。

 このバイオハザード一連の作品はそのアンデッドと呼ばれるゾンビたちが次々と襲ってくるストーリーである。ストーリーとしては単純明快だが、そのゾンビがTウィルスによって作られたものであるという設定が面白い。前作でTウィルスを殲滅させたようにおもわれたのだが、その数年後、Tウィルスは死滅することなく世界中へと蔓延していく。人類はほぼアンデッドとなり、無事に生き残っているのはごく僅かである。主要都市はすべてアンデッドが徘徊するようになり、生き残っている人々は旅を続けながら逃げている。そん中、アンブレラ社は「アリス計画」というプロジェクトを始動させる。その内容とはアリス(M・ジョヴォヴィッチ)のクローンによってさまざまな実験が行われていた。

 冒頭では1作目のバイオハザードを思い起こさせるような作りとなっている。これがアリスのクローンであることはすぐに分かる。本物のアリスはどこにいるかといえば、独り世界を彷徨っている。やがてアリスはアラスカが感染の及んでいないということを記されたノートを手にする。そして離ればなれになっていたカルロス(O・フェール)たちと再会することとなる。それに加えクレア(A・ラーター)が率いる武装集団も新たな仲間に加わることとなる。安住の地となるべく一行はアラスカへと向かうことに。そこで、アリスたちは、燃料や食料を確保するために、危険をおかしてラスベガスへと向かうのだが……

 今回の舞台は砂漠化したアメリカである。その分、スケールも広大となり、1作目のハイブ(地下研究施設)内、2作目ではラクーン・シティへと舞台が徐々に広がっていく。今回は開放感溢れる演出となっている。単純にアクション映画として楽しめる作品に仕上がっている。おしむらくは、アンブレラ社の利益優先という側面を持たせてはいるものの、中途半端に終わっているところである。

 いわゆるB級映画としては突出した作品である。テイストも昔の映画を彷彿させるような演出もあり、B級映画のファンである僕としては楽しめた作品である。純粋にアクション映画として楽しめる作品となっているので、ホラーが苦手な方でも楽しめる作品に仕上がっているのではないだろうか?百聞は一見にしかずという言葉があるように、一度、試してみてはいかがなものか。

オススメ度 ★★★☆☆ アリスのアクションシーンは見物です。

ランキング今日は何位?
posted by Genken at 15:43| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | 映画(は行) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月18日

パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド



2007年5月公開

監督 ゴア・ヴァビンスキー
出演 ジョニー・デップ オーランド・ブルーム キーラ・ナイトレイ

 誰もが幼い頃、海賊を描いたアニメや映画などで、彼らの冒険活劇に胸を躍らせたことだろう。そこに描かれていたのは自由気ままに振る舞う姿や、美味しそうに食べ物を食べ、酒をこよなく愛している。そんな姿だったのではないだろうか。的との戦いのシーンには胸を昂らせながらみたりしたものだ。

 デイヴィ・ジョーンズの心臓を手に収めた東インド会社のベケット卿。かれは世界制覇を目論む。そして次々と海賊たちを撃破していく。海賊たちの自由な時代は終わりを告げようとしていた。残された道はひとつ、”伝説の海賊”と呼ばれる9人を招集して、猛威をふるっている東インド会社相手に全面対決をすることに。しかし、その9人のうちのひとりであるジャック・スパロウ(J・デップ)は生死不明であった。やがて、ウィル(O・ブルーム)やエリザベス(K・ナイトレイ)たちは、溺死した船乗りが囚われているという”ディヴィ・ジョーンズの海の墓場”にジャックがいると確信して救出へと向かう。無事ジャックを救出できた、ウィル、エリザベス、そしてジャック。彼らの運命が再び交錯するとき、前人未到のワールド・エンドで、海賊たちの自由を賭けた最後の決戦の火蓋が切られることとなる。

 本作では、その自由を奪われ執拗に海賊たちを狩られるシーンなどがあり、違った意味で胸を躍らせたのではないだろうか。ジャックの生死は分からず、バルボッサらの手によって救出されたシーンなどは観ているコチラも喝采を叫びたいほどである。最後の最後まで飽きさせない演出は、さすがジェリー・ブラッカイマーと言わざるを得ない。

 見所は、最初から最後まで目が離せないところである。あげたらキリがない。例えば、海の大渦巻きの中での海賊船バトルや、デイヴィ・ジョーンズの海の墓場で何十人も登場するジャック。思わず、シークレットウインドウの最後のシーンを連想させられたくらいである。

 とにかく、こういった作品は小難しい理屈は抜きにして純粋に楽しめるかどうかが問題となってくる。個人的には充分堪能でき、それなりに楽しめた。最後のエンドロールが終わってからのシーンは充分に余韻をもたらせること間違い無しである。必見ですよ。

オススメ度 ★★★★★ 海賊たちの活躍を堪能して下さい

ランキング今日は何位?
posted by Genken at 15:49| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(2) | 映画(は行) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月17日

パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト



2006年7月公開

監督 ゴア・ヴァービンスキー
出演 ジョニー・デップ オーランド・ブルーム キーラ・ナイトレイ

 前作で呪われた海賊バルボッサとの壮絶な戦いを制し、再びブラックパール号の船長となったジャック(J・デップ)。一方、鍛冶屋のウィル(O・ブルーム)と総督の娘エリザベス(K・ナイトレイ)は結婚式を挙げようとしていた。そんな矢先に二人はジャックを逃した罪で投獄され処刑されそうになる。罪を逃れるためにはジャックの持つコンパスが必要であり、それを持ち帰りさえすれば処刑はまぬがれる。やがてウィルはジャックを捜しに出かけることに。

 ジャックはジャックで海賊なら誰もが怖れる幽霊船フライング・ダッチマン号の船長であるディヴィ・ジョーンズに魂を奪われようとしていた。というのも13年前に海底に沈んでいたブラックパール号を手に入れるために、彼とジャックは血の契約を交わしていたのであった。その契約の期限が迫っていた。ジャックはその事態を打開すべく、命運を握る鍵の行方を捜し始めるのであった。

 前作に引き続き、ジョニー・デップ、オーランド・ブルーム、キーラ・ナイトレイら豪華なキャストがこの作品に華をそえる。お伽噺としてみれば文句のつけようのない作品に仕上がっている。ただ、個人的に不満なのは、第3作に続くために、いささか冗長になりすぎて期待を持たせ過ぎなところが不満と言えば不満である。

 ただ、この作品は老若男女を問わず楽しめるので冒険活劇としては大変面白く仕上がっているのは事実。思わず第3作目に対して期待を抱かせるのである。

 大方の映画で続編があまりパッとしない理由として考えられるのは、前作の質の品質が良いので、続編を作る場合はあれもこれもと詰め込みたくなるからではないだろうか。観客の要望を満たすために、制作側もアッと驚くような仕上がりにしなければならないという焦りにも似た感情があるのだろう。

 そんな中でこの作品は、可もなく不可もないといったところ。多少、エピソードを詰め込みすぎたのが難点のひとつ。それ以外は非の打ち所がないといっていい。上映時間は少し長めだが、そんなことは気にせずにこの作品に没頭できるので、オススメです。

オススメ度 ★★★★☆ ジョニー・デップの怪演に酔いしれて下さい

ランキング今日は何位?
posted by Genken at 07:37| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(3) | 映画(は行) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月24日

ブラック・ダリア



2006年10月公開

監督 ブライアン・デ・パルマ
出演 ジョシュ・ハートネット アーロン・エッカート スカレーット・ヨハンソン ヒラリー・スワンク

 どうして人は妖しくて暗い闇の淵を覗き込みたくなるのだろうか?
 恐いもの見たさなのか、いや、それともそこに隠されている真実を探りたいのか?
 おそらく両方だろうと僕は考える。

 この作品は、L.A.コンフィデンシャル」の原作者ジェームズ・エルロイの同名ベストセラーをブライアン・デ・パルマ監督が映画化したクライム・ミステリーである。女優を目指してマサチューセッツからやってきた女性を真っ二つに切断された惨殺死体で発見される。実際に40年代に起こった有名な猟奇殺人事件をもとに、捜査に当たる2人の刑事が、事件の持っている狂気と妖艶な世界が繰り広げられ翻弄されていく姿を描いている。

 あらすじは、共に元ボクサーのロサンジェルス市警のバッキー・ブライカート(ジョシュ・ハートネット)とリー・ブランチャード(アーロン・エッカート)。リーには美しい同棲相手ケイ・レイク(スカーレット・ヨハンソン)がいた。いつの間にか3人は行動をともにするようになる。そんな中、ある事件が発生する。口の両端は耳まで切り裂かれ、内蔵を全部とられ真っ二つになった女性の死体が発見される。被害者は、女優を夢見てマサチューセッツからやってきた少女であった。その事件をマスコミは”ブラックダリア”と呼び大きく報道する。その事件の担当となったバッキーとリー。そこで異常なまでにこの事件にのめり込むリー。やがて、3人の間に亀裂が生じていく。

 物語は、意外な方向へと展開していくものの、全てを見終わった時に素敵な一枚の絵画に仕上がっている。見所と言えば、バッキーやリー、ケイ、それに、ヒラリー・スワンクが演じる(マデリン)が、それぞれに悩みや他人には打ち明けられない過去を抱いている。そこで、この4人が微妙に絡み合っていく中で、物語が展開していき、真相を際だたせて見せている。かなりオススメです。

オススメ度 ★★★★★ 人の背後に忍び寄る狂気を感じさせます

ランキング今日は何位?
posted by Genken at 10:10| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | 映画(は行) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月04日

ハンニバル・ライジング



2007年4月公開

監督 ピーター・ウェーバー
出演 ギャスパー・ウリエル コン・リー リス・エヴァンス

 誰にでも心の奥底にしまいこんでいたい嫌な想い出がある。それがふとした瞬間に思い出すのは苦痛でしかない。それが幼少期に負ったトラウマが大きければ大きいほど苦痛の大きさは倍増する。よく耳にするのは幼児期に親から虐待を受けた子供は成長して自分が親になったときに同じことを繰り返す傾向があると聞く。レクター博士が背負ったトラウマは妹の死であった。それは長い間レクター博士の心の奥底に封印していた出来事。それは妹が殺され食べられたことであった。

 その後、心を閉ざしたまま孤児院で成長したハンニバル。やがて彼は脱走し唯一の親類を求めてパリの叔父のもとへと向かう。しかし、すでに頼るはずの叔父はこの世を去り、未亡人の日本人女性レディ・ムラサキが、ハンニバルを温かく迎える。ハンニバルは彼女のもとで高度な教育を受ける。ところが、ある日、市場で彼女が侮辱を受けたことをきっかけに、彼の封印されていた闇の扉が開き、内なる狂気が葬り去られた記憶とともに目覚めていくのだった・・・。

 この映画の見所は、いかにしてレクター博士がカニバリズムに走らせたのかを描いている所である。ただ残念なのは、レクター博士の残忍さを際だたせるために序盤の幼少時代があまりにも冗長で途中だれてしまったところである。ただ、そのことが後にレクター博士への復讐へのカタルシスへとつながっていくので、致し方ないというところであろう。

 たとえ幼少時代に心的外傷(トラウマ)を体験したからといって、すべてがすべてに置いて同様の体験をさせるということをする訳は無いだろうけれども、レクター博士の心の闇を垣間見せるという点においては秀作といえるだろう。

オススメ度 ★★★☆☆ トラウマによって抱える心の闇とは

ランキング今日は何位?
posted by Genken at 10:25| 兵庫 ☀| Comment(1) | TrackBack(1) | 映画(は行) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月27日

ホテル・ルワンダ



2006年1月公開

監督 テリー・ジョージ
出演 ドン・チードル ソフィー・オコネドー ホアキン・フェニックス

〜1994年ルワンダの首都ギガリ。長年にわたり多数派のフツ族と少数派のツチ族の民族抗争がエスカレートしていた。一旦、和平交渉がまとまるかのように見えたが、首相が暗殺され両民族は一触即発の状態となる。街ではフツ族派ラジオ局からはツチ族を根絶やしにさせようと煽動的なプロパガンダを繰り返し流されていた。街はそのせいで不穏な空気に包まれていた。そしてついにフツ族はツチ族の大量虐殺を開始していた。そんな状況の中で、ルワンダの高級ホテルミル・コリンの支配人を努めるフツ族のポール(ドン・チードル)は、妻タチアナ(ソフィー・オコネドー)がツチ族であることから、何とか家族だけでも守ろうとしていた。フツ族からの襲撃を逃れるために、難民たちはホテルに続々と集まってきた。というのも、ミル・コリンは外国資本のためフツ族の民兵たちもうかつに手が出せないでいた。命からがら逃げてきた難民たちをみたポールの心境は複雑に揺れる。だが、難民たちを見捨てることが出来ない彼は一人で虐殺者たちと相対することになるが……〜

 この作品は、100日で100万人が虐殺された事件を背景にして、1200人の命を救ったあるホテルマンの行動を描いた実録社会派映画である。最初から最後まで緊張感を保たせる映画は少ない。とくに実録社会派映画としては秀逸で質の良い作品に仕上がっている。

 民族抗争の激しさを感じることは、残念ながら今の平和ぼけした日本で育った僕はどうしても対岸の火事としてしか捉えることが出来ない。何故、そこまで民族同士で憎しみ合い殺し合わなければならないのか。ツチ族という理由だけで殺される。その底流に流れるのは、最初のテロップで流れているのを一部引用してみたい。

>ツチ族は植民地支配に協力し、フツ族の土地を奪い搾取した。今、その反乱軍が帰ってきた。奴らはゴキブリで人殺しだ。ルワンダはフツ族の国。我々こそ多数派。我々はルワンダ愛国戦線(RPF)の反乱軍どもを一掃する。こちらは、フツパワーのRTLM局。油断するな。隣人を監視しろ。

 こういった激しいプロバガンダが四六時中流され緊迫感を煽られる。こういった放送を流されたらツチ族は行きた心地はしないだろう。実際に100万人の犠牲者が出ていることには目を背けることは出来ない。劇中で描かれているツチ族の無惨な遺体。あちらこちらに転がっているという表現がピッタリである。

 特に印象的なシーンは、どこの国かはわからないけれど取材に来たクルーたちが酔っぱらってその一人が主人公に言ったひと言である。こんな悲惨な映像を流しても、ディナーをしながら「怖いわね」のひと言で終わるんだよ。というシーンである。西側の協力を信じていた主人公ポールの表情はあまりにも切ない。恐らく、僕もその中の一人だろう。物語が進んで行くうちに、欧米や国連の対応はルワンダを見捨てるところを描かれている。絶望を感じる主人公。ルワンダでは、人の命が軽く扱われる。ツチ族というだけで殺され、ツチ族を守ろうとしたフツ族も裏切り者としてそしられ殺される。まるで、第二次大戦中のドイツと同じである。いわゆる選民思想に支配されている。

 一口に100万人殺されたといってももはやそれは数字になっている。人が一人殺されただけで大騒ぎになるのに、100万人と言えばもはや想像を絶する数字に変わり、人ではなく数字に置き換えられる。殺されていなければ幸せな生活を送れたかもしれないのに。未だに世界では難民と呼ばれる人たちが存在する。紛争も止まない。歴史は繰り返されるという。しかし、こういう悲しみや悲惨な歴史の繰り返しは願い下げたいものである。

 もう一度世界観を見直し考え直すためには珠玉の作品となっている。未見の方は是非一度手に取って観てもらいたいものである。

オススメ度 ★★★★★ 悲惨な歴史は繰り返されるものなのか?

ランキング今日は何位?
posted by Genken at 10:08| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | 映画(は行) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月21日

博士の愛した数式



2006年

監督 小泉 堯史
出演 寺尾 聰(博士) 深津 絵里(杏子) 斎藤 隆成(ルート)

何かにつけて結果を求められる昨今。

成果主義という制度が、いろんな職種や業種に導入されている。さして珍しくもない状態である。

何ごとにおいても、効率や実績を求められる。その背景には「過程はいいから結果を出せ」という無言の圧力が存在するように思えて仕方ない。

そういう意味では、社会全体が過程を軽視し結果さえ良ければ手段は問わないという風潮になっている感は否めない。

そんな中、この「博士の愛した数式」という映画は、こんな風潮に「本当にそれでいいの?」と問いかけているかのように、”いかに過程が大切”なのかを再認識させてくれる作品になっている。

あらすじは、交通事故の後遺症により、博士(寺尾聰)の記憶は80分しか続かない。そんな博士のもとに家政婦として杏子(深津絵里)が派遣される。やがて彼女の息子(斎藤隆成(ルート))も博士のもとへと通うようになる。こうして、博士、杏子、ルート、3人の交流を軸に描かれている。

80分しか記憶が続かない博士。彼にとって人と接することは常に初対面となる。よって、家政婦の杏子やルートとのやり取りにおいても同様である。

そのため、毎朝の博士と杏子の会話は常に初対面となってしまい、次のようなやり取りを繰り返すのである。

「君の靴のサイズは?」(博士)
「24です。」(杏子)
「いさぎよい数だね。まぁ、上がりたまえ。」(博士)

効率という面から考えれば、毎回おなじやり取りをする必要はなく、ビジネスライクで、「ハイハイ、私はもう何回も来ているのでわかっていますから。」という言葉が出てきてもおかしくはない。

ただ、杏子の素晴らしい点はそんな素振りもみせずに、博士との会話を大事にしていることである。

特に印象に残っているのは、大人になったルート(吉岡秀隆)が博士に算数を教えてもらったことを思い出しているシーンである。

博士は、問題に正解しなくても考える(過程)ことを非常に大切にしていたことである。
どんな考え方をして、その答えに辿り着いたのかということを重点において教えてくれいたということである。

今の時代では、考えにくいことである。
というのも、学校や企業においても、正解(実績)を出すことに重点においているからである。

つまり、スピード重視でムダがなくスムーズにことを運ぶことが命題となっている。そのために、血眼になってマニュアルを作成し、そこから外れることは許されないのである。

誰がやっても同じような結果を出せるという点を考えれば、マニュアルというのもあながち否定されるものではない。ただ弊害を考えてみると、これさえやっとけば間違いがないということは、考えることを放棄しかねない。

ひとつ例をあげるとするならば、体がおぼえているから考えなくても目をつぶって出来るということは、そういうことを指しているのではないだろうか?

ただ、マニュアルでのマイナス点ではなく、いい点を踏まえて、なお且つ必要以上に結果(実績)や正解を求めるばかりでなく、間違ってもいいから、何とか自分で”考える力”を養っていかなければ行かない時代になっていると、私は考えてしまう。

スピード・結果(実績)も大切ではある。ただ、たまには歩みを止めて考えてみるということも必要と言えるだろう。

考えることを放棄してしまえば、個の喪失につながり、それこそ「自分が何のために生きているのか?」、自分を見失うことになってしまうかもしれない。

それをさけるためには、必要以上に結果を怖れずに、今を大切にして「今、自分は何が出来るのか?」を考え続けて生きたいものである。

生き方について、考え直させてくれるキッカケの作品となりうるのでオススメですよ。

オススメ度 ★★★★★ 最近、生き急いでいませんか?

ランキング今日は何位?

posted by Genken at 01:22| 兵庫 ☔| Comment(2) | TrackBack(14) | 映画(は行) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月13日

半落ち



2004年

監督 佐々部 清
出演 寺尾 聰(梶 聡一郎)
   柴田 恭平(志木 和正)
   原田 美枝子(梶 啓子)

〜現役警察官の梶(寺尾聰)は妻の啓子(原田美枝子)を殺害したとして自首をしてくる。しかし、彼が自首するまでに3日かかっていたのだった。自首するまでの空白の2日間に何をしていたのか?その事について梶は一切口をつぐんでいるのであった。県警の上層部はスキャンダルを怖れ、取り調べにあたっている志木(柴田恭平)の意向を無視し、調書の捏造により空白の2日間について隠蔽を図り、事件の幕引きをしようとするのだが……〜

苦渋の決断を迫られる場面というのは、生活していく上で、誰にでも一度や二度、いや、ひょっとしたらそれ以上に経験したことがあるかもしれない。

例えば、仕事に置き換えて考えてみるとわかりやすい。

あるミスが発生したとしよう。どう考えても自分のミスではない。ただ、どうしても取引先の体面や上司の体面を保つために、そのミスを被らされたり、被ったりする状況ってないだろうか?

そんな状況に陥ったとき、ミスを認める、認めないという選択肢が、一見ありそうに思える。けれど、ミスを認めない場合のリスクは、最悪の場合、リストラや辞職に追い込まれたり、そこまではないにしても、閑職に追いやられたりするかもしれない不安を抱いたり、それにあの上司(取引先)には世話になっているからなぁ〜といった、色々なしがらみが複雑に絡み合い、結局、ミスを認めるという苦渋の決断をしなければならない(もちろん、そんなしがらみなんて関係ないという豪傑な人もいるだろうけど)。

この作品においては、そういった苦渋の決断を、これでもか、これでもかと畳みかけるかのように描いているのである。

梶を取り調べる志木は、空白の2日間に争点をしぼり取り調べを進めていくが、県警上層部の思惑は他にあり、彼らは志木に因果を含めて、梶の自供をミスリードするように指示する。

伊原剛志演じる佐瀬検事も、鶴田真由演じる新聞記者も、それぞれの立場で苦渋の決断を迫られる。

それに、忘れてならないのは、梶の苦渋の決断である。

息子を白血病でなくし、しかも、今度は妻の啓子がアルツハイマーに苦しむ。彼女は記憶が徐々になくなっていき、それに伴い、自己のアイデンティティーの喪失を怖れ、せめて記憶が残っているうちに死にたいと願う。

そんな妻の考えも理解出来る。

ただ、実際にそのような状況に陥った時に、自分はどのような決断をくだすかは、わからないのが正直な感想である。

ひとつだけ確かなのは、色々な選択肢があったとしても、自分が選ぶのはその時に自分が出来る事しか選択しないという事だ。

たとえ、それが自分にとっていい結果が出なかったとしても……。

ちなみに、この作品は横山秀夫のミステリー小説が原作である。恥ずかしながら、原作は未読である。しかし、映画でも十分に惹き付けられたので、近いうちに原作を手に取って読んでみようと考えている。



オススメ度 ★★★★★ あなたは誰のために生きていますか?

ランキング今日は何位?
posted by Genken at 23:51| 兵庫 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画(は行) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月02日

羊たちの沈黙(2回目)



1990年

監督 ジョナサン・デミ
出演 ジョディ・フォスター(クラリス・スターリング)
   アンソニー・ホプキンス(ハンニバル・レクター)
   スコット・グレン(クロフォード主任捜査官)

〜大柄な白人女性だけを狙う、猟奇的な連続殺人事件が発生するも、警察・FBIは、捜査に行き詰まり、行動心理学の面から、動機を探るため、自らの患者を殺し、食べた獄中の天才精神科医のレクター(A・ホプキンス)に協力を依頼するために、FBI訓練生であるクラリス(J・フォスター)を送り、接触するが・・・〜

最大の見所と言えば、猟奇的殺人を犯す犯人の行動をメインに描かずに、猟奇的殺人を犯す犯人の心理を探るという心理的要素をメインに置いている所である。

猟奇的な殺人を犯す犯人の心理はどのようになっているのか?
そのような心理は、誰もが持っている感情なのか?
異常な心理と正常な心理の境界は?

というように、劇中では実際に犯人が猟奇的な殺人をおかす描写はなく、行動心理学の面から動機を推察していき犯人を捕まえようとしているところに多く時間を割いている点でもうかがえる。

しかも秀逸なのは、事件に関して質問するクラリスに対して、レクター博士が素直に犯人の行動心理を読み解いてクラリスに教えないところである。

謎をかけることによって、その意味を推察するのをクラリスだけでなく、観ているコチラ側までも引き込まれてしまう。

こうしたクラリスとレクター博士の息詰まるやり取りを十分に堪能できる作品となっています。

オススメ度 ★★★★★ 異常と正常の境界とは……

ランキング今日は何位?
posted by Genken at 19:20| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | 映画(は行) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月28日

ブラザーズ・グリム



2005年

監督 テリー・ギリアム
出演 マット・デイモン(ウィル・グリム)
   ヒース・レジャー(ジェイコブ・グリム)
   モニカ・ベルッチ

〜19世紀初頭のドイツはフランスの占領下にあった。そんな時代に、悪魔払いとして有名なグリム兄弟がいた。だが、その実態はグリム兄弟とその助手たちがでっち上げたイカサマによるものであった。しかし、イカサマがフランスの将軍にバレてしまい捕まってしまう。ある村で起きている少女連続失踪事件の解明を命じられた。早速、調査に向かわされる兄弟。だが、そこで兄弟が待ち受けていた運命とは……〜

この映画は、もし、グリム童話の作者がこんな感じだったら…という視点で描かれたブラック・ユーモアに溢れたファンタジー作品である。

見所は、ファンタジー作品ならではといった、幻想的な美しさや恐怖を描いているところである。

舞台が19世紀のドイツで、場面が主に暗い森が中心となる。しかも一歩、森の中に足を入れれば動く木があったり、不気味な虫がいたりする。そういったダークな雰囲気を感じさせるため色使いが少し暗いといった印象をうける。

だからといって重苦しい展開かと言えばそうはならない。

というのも、口達者で現実的な兄のウィル。それとは反対に夢想家である弟のジェイコブ。そんな正反対の性格である二人の軽妙なやり取りがコミカルに描かれているからである。

後、忘れてはならないのはモニカ・ベルッチ演じる塔の上に住んでいる魔女である。その妖しくて美しい魔女を見事に演じているところも見逃せないところである。

それと、「赤ずきん」や「ヘンゼルとグレーテル」などグリム童話の作品が、物語を盛り上げるための要素として取り込まれてあるので、そのあたりもお見逃しなく!

見事に大人のファンタジー作品として仕上がっているので、オススメですよ!

オススメ度 ★★★★☆ 妖しくて幻想的なファンタジーを堪能してください!

ランキング今日は何位?
posted by Genken at 21:03| 兵庫 ☁| Comment(4) | TrackBack(3) | 映画(は行) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月18日

フォーガットン




2005年

監督 ジョセフ・ルーペン

出演 ジュリアン・ムーア(テリー)
   ドミニク・ウェスト(アッシュ)
   ゲイリー・シニーズ(マンス医師)

〜飛行機事故により最愛の息子を失ったテリー。事故から14ヶ月たっても彼女の悲しみは癒えない。そんなテリーを夫や精神科医は優しく見守っていたのだが…。
ところが、不信な出来事がテリーに降り掛かる。家族3人で撮った写真から息子だけが消えているのに気づく。次に、大切なアルバムや、ビデオテープからも映っていたはずの息子の姿が消えてしまっていた。困惑する彼女に、夫や精神科医は口を揃えて「息子はいなかった」といわれ呆然となる。ショックを受けながらもテリーは息子の存在を証明しようとするのだが……〜

映画を鑑賞するにあたって予断は禁物である。まさしくこの作品についてはピッタリと当てはまってしまった。

存在していたはずの最愛の息子。写真やビデオテープにはっきりとその姿が映っていた。だが、それは彼女が流産したことによって息子がいたんだと自分で描いてきた虚像であると、夫や精神科医、友人までもが口を揃えて「息子は存在しなかった」と言う。

果たして、真実はどこにあるのか?
本当に息子は存在していなかったのか?
テリーは周囲の人が言うように虚像を描いていただけなのか?

こういった謎解きの要素や、もしくは人の記憶の儚さについて描いていくのだろうと勝手に想像してしまった為に、中盤からの展開に唖然としてしまったのである。

中盤からの展開を考えると、配役を、せめて「X−ファイル」ばりに、テリーをスカリーに、アッシュをモルダー、精神科医をスキナーにしてくれていれば、素直に楽しめたと考えます。

期待が大きかっただけに、悔しさが残った作品でした。

オススメ度 ★★★☆☆ 予断は禁物です!

ランキング今日は何位?

posted by Genken at 02:36| 兵庫 ☁| Comment(2) | TrackBack(3) | 映画(は行) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月01日

ヒトラー 〜最後の12日間〜



2005年

監督 オリヴァー・ヒルシュビーゲル
出演 ブルーノ・ガンツ(アドルフ・ヒトラー)
   アレクサンドラ・マリア・ラーラ(トラウドゥル・ユンゲ)
   ユリアーネ・ケーラー(エヴァ・ブラウン)

〜1942年、ヒトラー総統の個人秘書として、トラウドゥル・ユンゲは数人の候補の中から選ばれた。それから、3年後の、1945年4月20日のベルリン。第二次大戦は佳境を迎えており、ドイツ軍は連合軍に追い詰められつつあった。ヒトラーは身内や側近と共に首相官邸の地下要塞へ潜る。冷静さを失い狂人化していくヒトラー。それに呼応するかのごとく、ベルリン市内も混乱を極めていく。民兵は十分な武器も持たないまま敵に立ち向かわなければならない。一方で、戦争に参加しない市民は親衛隊に射殺されていく。そして側近たちも次々と逃亡する中、ヒトラーは敗北を認めず最終決戦を決意するが…。〜

この映画は、ヒトラーの個人秘書からみたナチス・ドイツの裏側を描いている作品である。

特筆すべきなのは、独裁政治が持ち合わせている危うさとも言うべき問題点が描かれているところである。

その問題点とは、物言えぬシステムにある。どういうことかと言えば、独裁者にとって不利益な情報や事実は、側近により、巧妙に脚色されたり、隠蔽されたりして、独裁者の耳には届かないことである。
そのように、脚色や隠蔽された誤った情報により、国策や戦略が決定されることになる。もちろん、そういった国策や戦略は間違いであり、誤った方向へと国が導かれていくのである。

なぜ、そのようなことが起きるのか?
独裁者のカリスマ性や残虐性が高ければ高いほど、この傾向は歯止めが効かない。
側近たちの唯一の願いは、その残虐性が自分の方へと向けられないようにするための自己保身である。

独裁者の機嫌を損ねるようなリスクは冒せないのである。耳障りの良い情報や事実しか言えなくなっていくと考えられる。

これと、同じような状況といえば、ワンマン経営と呼ばれる会社の中でも起こっているのである。

その、会社にとって社長や創業者といえば、絶大な発言力や権力を持っている。その社長や創業者にとって、耳障りの悪い情報や事実をいうと、それが、世間的には正しくても、その発言した社員なり役員がクビになったり、閑職に追いやられたりする。
すると、情報や指摘がいくら正論であっても、社長や創業者の機嫌を損ねるようなことになる可能性を秘めていれば、物怖じして発言出来なくなる。

本当に大切なのは、脚色されていない事実である。たとえ、その事実が本人にとって耳の痛い(不利益)な事柄でも、聞く耳を持たなければならないし、発言できる状況が必要なのである。

自分にとって耳の痛い事実や真実を言ってくれるのが、家族であったり友人と言える。大切にしたいものである。

オススメ度 ★★★★★ 最近、耳障りの良い情報ばかり聞いていませんか?

ランキング今日は何位?

posted by Genken at 23:29| 兵庫 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画(は行) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月23日

ブラックホークダウン



2002年

監督 リドリー・スコット
出演 ジョシュ・ハーネット
   ユアン・マクレガー
   トム・サイズモア

〜1993年、ソマリアでの泥沼化する内戦を鎮圧する目的のために、兵士を派遣したアメリカ。だが、思うように、成果は出せなかった。
そういう状況下で、10月3日に、アディード将軍の本拠地へと奇襲作戦を結構することに。1時間足らずで、終わるはずの作戦が…。〜

この作品は、1993年に米軍が失敗したソマリアの将軍の捕獲作戦を、ノンフィクション小説を原作にリドリー・スコット監督が映画化したものである。

よく外食した際に、忙しそうにバタバタと走り回っている厨房などを見かけると、「まるで、戦場みたいだね。」という喩えを耳にしたり、実際、言ったりすることがある。
ただ、この作品を見れば、先ほどのような喩えは、空虚な響きさえ感じてしまう。
しかも、どれだけ戦場が悲惨なものかを、幸か不幸か戦争を知らない我々の世代に感じさせてくれる貴重な映画なのである。

どちらが、正しくて間違いなのかは、立ち位置によって見解がわかれるはず。というのも、どちらも、正義を標榜しているのだから。

未来を勝ち取るためという理由で行われた戦いが、実は、戦う兵士たちや国民の未来を奪っている皮肉な現実。

兵士や反乱軍に身を投じた若者たちも、戦場にいなければ、良き夫であったり、未来を信じる若者であったり、親孝行の子供であったりする。
優しい表情を浮かべていたであろう、若者や夫の姿は、生き地獄と化した戦場には見受けられない。

劇中のように、計画が破綻して、状況が刻一刻と悪化していき、あのような極限状態で、理性などは吹っ飛び、人は、ただ生き残ることのみを考える。
そこには、口当たりの良い言葉や、モラルという概念は存在し得ないのである。

それと、忘れてはいけない教訓。我々の先輩が先の世界大戦で多大な犠牲をはらい、負けはしたが、勝ち得た教訓。

「戦争は誰のためにもならない。」

この言葉を胸に刻み付けて、後方支援のみで、非戦闘地域だからという名目で、イラクへ派遣されている自衛隊の意味を問い直してみるのもいいかもしれない。

オススメ度 ★★★★★ 戦争だけじゃなく、争いも不毛なものなり。

ランキング今日は何位?
posted by Genken at 02:24| 兵庫 ☁| Comment(2) | TrackBack(2) | 映画(は行) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月21日

フライトプラン



2006年 1月公開

監督 ロベルト・シュンケ
出演 ジョディー・フォスター(カイル)
   ピーター・サースガード(カーソン)
   ショーン・ビーン(リッチ機長)

〜最愛の夫を突然の事故により亡くしたカイル(J・フォスター)。哀しみに打ちひしがれながらも、夫の遺体を引き取り、6歳になる娘のジュリア(マーリン・ローストン)を連れて、ベルリンから故郷のニューヨークへと、帰国することに・・・。
搭乗したのは、カイルが設計した最新型のジャンボジェット機。母娘は、いちはやく搭乗し空いた後部座席へと移動する。そこで、ジュリアを寝かしつけると、カイルも睡魔に襲われてしまい、うたたねをしてしまう。目が覚めると、横にいるはずのジュリアがいないのに気づく。必死に探すも見当たらない。
乗客や乗務員に尋ねるも、誰一人としてジュリアを見かけたものはいない。しかも、搭乗者記録もなく、その上、乗務員がFAXで得た情報によると、ジュリアは夫とともに、死亡していた…。すべては、精神的ショックにより、引き起こされたカイルの妄想なのか…。
だが、あることを発見し、ジュリアの存在を確信したカイル。娘を取り戻すために、敢然と立ち上がる…〜

この映画は、高度1万メートルの機内という密室で、一緒に搭乗した娘が、忽然と姿を消して行方がわからない、ミステリー作品に仕上がっています。

やはり、特筆すべきなのは、ジョディー・フォスターの演技です。娘を思いやる母親の一途な愛を見事に表現しています。
娘を捜索していくうちに、周囲からも孤立してしまい、不利な状況へと追い込まれながらも、愛する娘のために、あらゆる困難に立ち向かっていく姿には、鬼気迫るものがあります。

それと、個人的には、事件の背景に隠されている、現代社会が抱える心理面での、不安定さを描いているところが良かったと感じます。

それは、ひとつの真実が、さまざまな情報により、真実が真実でなくなり、嘘が嘘でなくなってしまう。それに加え、自分自身が、周囲から孤立してしまい、孤独感にさいなまれ、絶望を抱いたときに、果たしてどこまで、自分という存在を保てるのだろうか?

劇中のように、はっきりとした信念を抱くことが出来なければ、とうてい無理だと考えます。

ラストで描かれているシーンも、心理面での不安定さを表現しています。
トラブルに巻き込まれないためには、出来るだけ、関わり合いを持たずに、傍観者でいることに努めようとしている。

これは、横のつながりが希薄になっている現代社会を風刺していると考えます。
ひと昔前なら、イタズラをしている子供たちをみかけると、叱り付けるオジさんや、ひとりでいる子供をみかけると、声をかけてくれるオバさんがいたものだが…。
いつの間にか、自分自身も含め、傍観者の立場を決め込んでいる大人が大勢いることに気づかされる。

このように、現代社会が抱えている心理面での不安定さを見事に表現しており、非常に見応えのある作品に仕上がっています。

オススメ度 ★★★★★ 真実が真実でなくなるとき、その先に待ち受ける世界は…。

ランキング今日は何位?
posted by Genken at 02:33| 兵庫 🌁| Comment(14) | TrackBack(50) | 映画(は行) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月04日

パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち



2003年

監督 ゴア・ヴァービンスキー
出演 ジョニー・デップ(ジャック・スパロウ)
   オーランド・ブルーム(ウィル・ターナー)
   キーラ・ナイトレイ(エリザベス・スワン)

〜黄金のメダルを所有していたために、バルッボサ船長(ジェフリー・ラッシュ)率いる海賊たちにさらわれたエリザベス(K・ナイトレイ)。
愛する彼女を助けるために、鍛冶屋職人のウィル(O・ブルーム)は、自らキャプテンと名乗る一匹狼のジャック・スパロウ(J・デップ)と手を組み、エリザベス救出のために、海賊の後を追い、大海原へと乗り出すのだが・・・〜

この作品は、全編を通して観ると、コミカルな雰囲気を出してはいるものの、要所・要所に見せ場を作り最後まで飽きさせない作りになっている。

映像も美しく、どこか神秘的である。例えば、月の光のもとで、呪われた海賊たちの真の姿である、がい骨の姿となって現れるシーンなどは、恐怖というよりは、怪しげではあるが、映像の美しさとあいまって、神秘的にさえ感じるのである。

物語も、黄金のメダルを争点に二転三転させることにより、観ているこちらも一緒に冒険をしているかのようで、ワクワク・ドキドキしながら夢中になり、物語にスッと入り込めるのである。
残酷なシーンは、直接的には映し出されてはいないので、子供も楽しめ、それ以上に、大人もまた子供の頃に観たような、胸を躍らせるような海洋冒険ロマンとも言うべき作品になっているので、十分に堪能できるのである。

ターナーの父親に関しての描きこみの足りなさや、ジャックと共に行動していた仲間たちについての説明不足といった感は否めないが、そんなことさえも、あまり気にさせない、楽しい娯楽作品となって仕上がっています。

それと、ジョニー・デップの演技も素晴らしく、気取った立ち居振る舞いや、おどけてみせたりする姿や、考えているのか、いないのか、敵なのか味方なのか、正体をつかませないジャック・スパロウを見事に演じきっており、彼しかこの役は出来ないのではと言い切りたくなるほどである。

とにかくオススメです!

オススメ度 ★★★★★ ジョニー・デップの演技に酔いしれて下さい!

ランキング今日は何位?
posted by Genken at 00:14| 兵庫 ☀| Comment(8) | TrackBack(17) | 映画(は行) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。