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2006年12月09日

ミリオンダラー・ベイビー



2005年

監督 クリント・イーストウッド
出演 クリント・イーストウッド ヒラリー・スワング モーガン・フリーマン

 成功と挫折。それは一見反対のような事柄のように思われるが実は表裏一体である。どれだけの人々が各々に想い描いている成功を夢見て物事に挑戦しているだろう。成功する者もいれば、道半ばで夢をあきらめ挫折を味わい、その後の人生を味気なく過ごす者もいるだろう。あるいは、成功するまで挑戦していく者もいるだろう。どの道を選ぶのかは、その人次第といったところだろう。

 この映画の主人公であるマギーは、30歳を過ぎていながらもプロボクサーになることをあきらめずにいる。そんな彼女の内心は自分の人生を変えるにはボクシングしかないという揺るぎない想いだけである。フランキーにトレーナーを頼むも、女性ボクサーは見ないと取りつく島もない。ただ、マギーは諦めずにフランキーのジムに通い続ける。ひとりで黙々と練習を続けるマギーを見続けたスクラップ。彼は彼女の素質や根性を見抜く。そこで彼は、フランキーにマギーのトレーナーになるよう進言する。しかも、マギー自身の強い意志に負け、フランキーはマギーのトレーナーとなる。そこからの彼女は破竹の勢いで試合に出れば連戦連勝。圧倒的な強さを見せつけるのである。順調に勝ち続けていくマギー。しかし、彼女が輝きをはなてばはなつほど、ひっそりと彼女に影が忍び寄っていくのである。

 最初の影は、ファイトマネーを貯めて母親のために家をプレゼントしたのに、あろうことか、母親は感謝の念もなく生活保護が打ち切られることを怖れ、罵倒するのである。そんな複雑ともいえるマギーの家庭環境。ただ、そんな罵倒する母親に対しても、マギーは健気に送金の額を増やすからというセリフを言うのである。その後も、マギーはボクシングに打ち込み、ついに世界チャンピオンと対戦することとなる。試合当日、チャンピオンに臆することなく果敢に攻め続けるマギー。試合は押しているかのようにみえたが、3R終了後に悲劇が訪れる。ゴング直後、マギーが気を抜いたときに相手の卑劣なパンチが入り脊椎を損傷してしまう。

 前半は徹底的にマギーの成功を描き続けることによって、絶望的な後半への展開の伏線となっていることを見ている我々は知ることとなる。

 マギーは、頸椎損傷のために自発呼吸が出来ずに四肢が麻痺といった状態に陥る。人生やスポーツにはif(もし)はない。「もし、あの時気をつけていれば…」といった後悔の念はマギーに残る。というのも、フランキーにくどいほど「どんなときも、自分の身を守れ」と言われていたからである。しかし、そんな状態になってもフランキーはマギーをやさしく見守る。というもの、マギーの家庭環境も不遇だが、フランキーも娘との関係は断絶関係となっている。毎週、手紙を書き送り続けるも、無情にも差出人に返送といったスタンプを押され返ってくる。フランキーはいつの間にかマギーを娘として見ていたのである。マギーもフランキーに父親の姿を見ていたのであった。何とか、生きる希望を見いだせるようにフランキーはマギーに色々と語りかける。

 だが、現実は残酷である。四肢の麻痺によって寝返りさえうてないため、床ずれがひどくなる。しかも、面倒を見てくれると思っていた家族が、マギーをすでに死者として扱い、マギーの財産の保全をはかろうとし、弁護士とともにやってくる。四肢の麻痺によってサインさえ出来ないマギーに対して、口にペンをはさんでサインさせれば良いのよと、冷たい仕打ちを受ける。それでも、かすかな希望を母親に見いだそうと試合の感想を聞くが、何の優しい言葉もかけることなく「お前は負けたんだよ。」と残酷なひと言が彼女を打ちのめす。

 家族との絆もなくなってしまい、さらに追い討ちをかけるかのように、左足が壊死し切断することになる。マギーには生きる希望すら見失う。唯一信頼をおいているフランキーに「尊厳死」を望む。もはや、彼女に残された希望は、観客の声援が聞こえているうちに死ぬことである。フランキーは断るが、彼女の意思は固かったのである。ある夜中、彼女は自分で解決をはかろうと、自身の舌を噛み切って自殺未遂を2回はかるのである。フランキーはマギーの意思の強さを誰よりも理解しているので苦悩する。信心深いフランキーは牧師に相談する。「彼女を生かすことは、殺すことと同じ」、「彼女が救いを求めているのは神ではなく、私なのだ」。このセリフが僕の心を掴んで離さないのである。

 この作品では、「尊厳死」「家庭環境」といった現代社会が抱えている問題を真正面から捉えた作品といえる。この映画の結末について受け入れるか、否かはさほど大きな意味を占めないと考える。それは、人それぞれ育った環境も考え方も違うのだから結末については賛否両論あるだろう。先ほども述べたように、「尊厳死」「家庭環境」といった社会問題を今、もう一度考え直さなければいけない時代になっているからである。今の日本では「尊厳死」という概念はあまりにも薄いのである。ただ、いつまでもこの問題に対して逃げられないのである。高齢化社会に向かっていっている現代。真正面から議論されなければならないと、考えているのである。その上、「家庭環境」についても、同様である。というのも昨今、親が子を殺し、子が親を殺すといったニュースが後を絶たなくなっている。何という時代なんだろう……。

 今一度、この作品を通して訴えかけている問題提起を真摯に受け止めなければならない時代になっている。しかも、現実は映画よりも残酷であるということを忘れてはならない。

オススメ度 ★★★★★ あなたならどう決断しますか?

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posted by Genken at 23:55| 兵庫 🌁| Comment(2) | TrackBack(2) | 映画(ま行) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして。
「尊厳死」については、スペイン映画の「海を飛ぶ夢」を観た時にも考えさせられました。五体満足の身で「頑張って生きろ」と言うのは簡単です。私がもし、近しい人に乞われたら、尊厳死を手伝ってしまうと思います。それは、一概に、ネガティブな姿勢とは思えません。動けない身体から解き放って、どこへでも好きなところへ行かせてあげたいという気持ちです。
Posted by c.mama at 2006年12月11日 10:37
>c.mamaさん

こちらこそ、初めまして。コメント頂きありがとうございます。
「尊厳死」については、c.mamaさんのように、ハッキリと言い切ることは出来ないんですが、もし、自分に近しい人がそのような状態になれば、尊厳死を選択すると考えています。ただ、本人の意思が強い場合と限定しています。それが、僕の正直な気持ちです。
意思がハッキリしていない場合についても、これからは、考えていかなければならないと、この作品を通して、痛切に感じられました。

それでは、失礼します。
Posted by Genken at 2006年12月11日 18:40
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ミリオンダラー・ベイビー
Excerpt: 「自分自身を守れ!」 これがフランキー(クリント・イーストウッド)が、マギー(ヒラリー・スワンク)に言っていた口癖でした。 いろんな方のレビューを拝見していたので、内容はほぼ分かっ..
Weblog: UkiUkiれいんぼーデイ
Tracked: 2006-12-13 16:24

ミリオンダラー・ベイビー
Excerpt:  コチラの「ミリオンダラー・ベイビー」は、「許されざる者」で1992年のアカデミー賞の作品賞・監督賞のW受賞をしたクリント・イーストウッドが、2004年のアカデミー賞で作品賞・監督賞を再びW受賞し..
Weblog: ☆彡映画鑑賞日記☆彡
Tracked: 2007-09-22 23:53
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