2006年9月公開
監督 ブレッド・ラトナー
出演 ヒュー・ジャックマン ハル・ベリー パトリック・スチュワート
大抵の映画は続編を出していくうちに、クオリティーが下がっていくものだ。前作が良ければ良いほど、前作以上のものを作らなければならない重圧の中で、あれもこれもと詰め込んでしまい、結果クオリティーが下がるという訳である。ただ、この作品に至っては例外である。シリーズ3作目となる物語だが、クオリティーが下がるどころかむしろ前作以上の出来栄えとなっている。
あらすじは、ミュータントの能力を消去して普通の人間になる新薬キュアが開発される。それに対して、マグニート率いるブラザーフットは、キュアの根絶を狙う。そのためにはキュア開発の鍵となる少年ミュータント、リーチの強奪に動き出す。一方、X-MENは人類とミュータントとの全面戦争を回避しようと奔走するのだが……。
普通の人には持っていない能力。それが意味するのはその力をどのように使っていくかによって大きく意味合いが違ってくる。力をコントロールするのか、力に支配されるのかである。自分の私利私欲のために力を使えば、それは既に力に支配されているのである。
しかもそんな力を持たない人間はその力に対して畏怖を覚えてしまう。羨ましいといった羨望の眼差しが、いつの間にかどうして自分には力がないのかという嫉妬心を芽生えさせる。それが根源となり、人類対ミュータントとの戦いの構図になっている。
一方で、人類と共存する道を選ぶものもいる。それがX-MENたちである。自分の力をコントロールして決して力に支配されないようにしているのである。
この作品の中で描かれているのは、人間誰しもが持っている虚栄心や嫉妬心、欲望を丁寧に描写している点である。
その辺りを描いているのが前作で死んだはずのジーンの心の葛藤である。己の本能、欲望に対して素直である自分に嫌悪しながらもそれに抗えない自分がいることに苛立ちを覚える。もはやX-MENでなくなった彼女の行動ひとつひとつに哀しさがみることが出来る。
それに加え、新薬キュアが出来たことにより、自分たちの能力に嫌気がさしているミュータントたちの心の揺れも上手く表現出来ている。反対に自分たちの能力を永遠に消し去ってしまうということに対して嫌悪感を抱きキュアに対して否定的な見解を持つものもいる。その辺りの感情を上手くまとめあげたのがマグニートである。
本作品は、全ての事象を受け入れるか否かを描いた作品であり、ただ単にアクション映画で終わらせていないところが秀逸である。人間が持つ、さまざまな感情を丁寧に描いているという点においてもただのエンターテイメント作品ではなく、メッセージが込められているのがわかる。他民族国家のアメリカだからこそ出来た作品打とも言える。一見の価値有りです。
オススメ度 ★★★★★ エンターテイメント作品としても一流です
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