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2008年08月13日

スカイクロラ

2008年8月公開

監督 押井守
声の出演 菊池凛子 加瀬亮 谷原章介

 一見、平和とも思える現代社会。でも、戦争はあちらこちらで行われている。ひとたびTVをつければ信じている宗教が違うといって争いが起こり、また、変革や自由を求めて自国の政府と戦う人たち。さまざまな情報が目に入り耳に聞こえる。そんな姿を見て僕たちは平和の有りがたさを知る。

 物語の舞台は、幾つかの大戦を経て、束の間の平和を手に入れた、今と良くにた時代。かりそめの平和を実感するために、人々は「ショーとしての戦争」を求めた。現代を生きる私たちが、テレビを通して戦争を「観戦」するように。戦闘機のパイロットとして戦うのは、”キルドレ”と呼ばれる子どもたち。彼らは年をとらない。思春期の姿のまま、永遠に生き続けるー空で死なないかぎりは。(パンフレットから抜粋)。

 ショーとしての戦争の側面には平和を甘受出来る社会であらなければならない。
劇中で草薙水素が発した台詞の中でその一面が垣間見られる。「戦争はどんな時代でも完全に消滅しとことはない。それは、人間にとって、その現実味がいつでも重要だったから。同じ時代に、今もどこかで誰かが戦っている、という現実感が、人間社会のシステムには不可欠な要素だから。そして、それは絶対に嘘では作れない。戦争がどんなものなのか、歴史の教科書に載っている昔話だけでは不十分なのよ。本当に死んでいく人間がいて、それが報道されて、その悲惨さを見せつけなければ、平和を維持していけない。平和の意味さえ認識できなくなるー空の上で殺し合いをしなければ生きていることを実感できない私たちのようにね」という具合に完全とも思える社会でも致命的な欠陥を持ち合わせているかのようである。

 それに加え、キルドレと呼ばれる子どもたち。彼らはどこから産まれどのように育ったのかそれすらも分からないでいる。ただ分かっているのは、年をとらず、思春期の姿のまま永遠に生き続けられるということ。空で死なない限りは。たとえ、空で死んだとしても、その特性を引き継いだものがまた現れる。未来永劫、その繰り返しである。ある意味、ずっと生き続けなければならないという苦痛と言う名の十字架を背負って生きているとも言える。草薙水素も、その十字架を背負い葛藤している。函南優一も新しい基地に配属される前の記憶を持たずにいる。そして前任のパイロットについて知りたがる。バラバラになったピースを拾い集めるかのように前任者の情報を求め続ける。それがひとつの絵として治まった時に、優一は自分たちに課せられた運命に立ち向かう決意をするのであった。

 この作品の秀逸なところは、現代社会にもある意味戦争はショーとかしている現実を風刺している点である。僕たち日本で育った人間は戦争についてあまり免疫のない世代が増えてきている。昔に起こった先の大戦の記憶を持ったものが少なくなりつつある現状。戦争の無意味さを教えてくれているのである。それに加え、空で死なない限り、思春期の姿のままで生き続けるという点。これは、一度は誰しもが望んだであろう永遠の若さ。ただ、その裏側では未来永劫変わることのない日々が待ち受けているだけの永遠と言う名の苦痛。それを終わらない戦争とキルドレという存在を上手く交錯させながら描いているというのは特筆すべきだろう。

 限りがあるからこそ、この世を謳歌できるのであって、決して終わらせない戦争やキルドレに代表されるように死なない存在というのはまぎれもなく幻想であるということを。この作品が持たらしてくれたメッセージを今一度噛み締める必要がある。

オススメ度 ★★★★★ この世は限りがあるからこそ美しい。

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posted by Genken at 10:53| 兵庫 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | 映画(さ行) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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草薙水素、キルドレの司令官
Excerpt: キルドレのパイロットとして戦闘を生き延び司令官となった草薙水素は特別な存在だ。初めて自分自身でキルドレの存在意義を疑問に思ったキルドレかもしれない。
Weblog: オヤジの映画の見方
Tracked: 2008-08-13 16:08
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