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2008年07月31日

ゴッドファーザーPARTU



1975年4月公開

監督 フランシス・フォード・コッポラ
出演 アル・パチーノ ダイアン・キートン ロバート・デ・ニーロ

 一代で苦労してファミリーを築きあげた父ビト・コルレオーネ。彼は家庭も大事にしてきた。父の死後、ファミリーを引き継いだマイケル(A・パチーノ)。彼もまた父が築きあげたファミリーを守り繁栄させるべく奮闘していた。若き日の父ビト・コルレオーネ(R・デ・ニーロ)の面影を追いながら、若きドンのマイケルは物思いに耽る。父が若い頃の時代と全く違った中で、マイケルはドンとしての苦悩と復讐の物語が深く交錯していくのであった。決して交わることのない両者の生き様。それは観るものを惹き付けて止まない作品となって仕上がっている。

 家族とファミリーの繁栄を願い手に入れた父。一方でマイケルはファミリーの更なる繁栄とファミリーの合法化に心血を注いでいた。家庭も大事にしてきたつもりが、徐々に家庭崩壊への階段を昇っていくことも知らずにいた。若き日のドン・ビト・コルレオーネは、リトルイタリアで徐々に頭角を現していった。そんな中、リトルイタリアを牛耳っていたファヌッチが立ちはだかった。日頃から彼の横暴さを見かねていた彼は、街がキリスト教の祭りでにぎわう中ついにファヌッチを拳銃で仕留めることにせいこうする。この銃弾が、やがて訪れるドン・コルレオーネ・ファミリーの繁栄を持たらしていくのであった……。

 それとは対照的にマイケルは命を狙われる。ファミリーの中に裏切り者がいたということに立腹した彼は、急遽、旅立つことに。ファミリーが今後も繁栄していくようにと裏切り者を探し出すために。その旅立ちが後に彼を不幸へと陥れることも知らずに。

 この作品の秀逸なところは、若き日の父と、若き日のマイケルとの生き様を対照的に描いた点である。誰からも親しまれた父ビト。それは父ビトがリトルイタリアでファヌッチを殺したのも、いわば義憤の側面があったからである。リトルイタリアの市民をも守かのように立ち振る舞ってきたビト。それと相反するように、誰からも畏れられていたマイケル。それは、父が遺したファミリーを守るために。言わばファミリーだけしか見えていないマイケル。それが後々大きな悲劇の火種となってしまう。

 妻のケイ(D・キートン)は、夫の裏の顔を畏れ憎みすら抱くようになる。その結果として身ごもっていた子を中絶してしまう。その事実を知らされたマイケルは怒り狂いケイだけを追い出すことに。家庭の崩壊である。裏切り者としてわかったのは実兄のフレドだった。ファミリーの掟に従い、マイケルはとうとうフレドまで手にかけてしまう。父ビトのようには上手く行かず、時代の流れに苦悩しながらも冷徹さだけを手に入れたマイケル。

 このように、二人の生き様を交互に交錯させるように演出しており、それが、またこの作品に深みをもたらしているのである。ただの続編とはひと味もふた味も違うのである。両作品を続けてご覧になったらわかるが、二つの作品が融合して見事にひとつの作品としても成り立っていることに気づくだろう。この物語だけでも、充分に堪能できるという点では特筆すべきではないだろうか。今の時代でも決して色褪せることなく楽しめる作品に仕上がっているのである。一度観た人も、まだ観ていない人も必見です。お見逃しなく。

オススメ度 ★★★★★ 百聞は一見にしかず。是非ご覧になって下さい

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posted by Genken at 09:41| 兵庫 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画(か行) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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