前作の「風の歌を聴け」から、数年後の話。あらすじをまとめるのは僕にとっては難しい作品である。なのであえてあらすじは書かないでおく。
これは、「風の歌を聴け」、「1973年のピンボール」、「羊をめぐる冒険」と3部作になっている。その2作目にあたる作品である。
様々に交錯する世界観。そこには、僕がいて双子の姉妹がいたり、鼠とジェイ、そして鼠の彼女。それと、大事なのはこの物語を語る上で大事な役割を果たしているピンボールマシーン。それらが漫然とバラバラになっている物語がひとつに収束している小説である。
この作品を読むたびに、僕は何処にも行き場所がないような閉塞感を覚える。若い頃に読んだとき、また、今の歳になって読んでも、どこにも辿り着けないんじゃないかと不安になったりもする。喩えて言うなら、やり場のない焦燥感や怒り。そういった感情を呼び起こされる不思議な作品である。
「風の歌を聴け」のレビューでも書いたけれど、この作品も同様に全く色褪せないでいる。それは、僕がこの主人公の僕に惹かれていて、彼の考え方に賛同しているからだろうか。あるいは、そもそも、僕自身が成長していないのか?何度考えても分からない。
村上春樹氏の作品は、好きか嫌いかというハッキリとした意見を持つ人が多いと感じるのは僕だけだろうか?それは人それぞれ好みがあるだろう。
嫌いな人の意見としては、生理的に受け付けない。あまりにも抽象的すぎる、あるいは、気障な文体だとか、人が簡単に死んでしまうのが分からないといった理由を聞く。
僕は、それらの意見を聞いて、納得する部分もあるけれど、やはり、村上春樹氏の作品は好きである。何しろ、色んな意味で僕を示唆し導いてくれているからだ。それが、喩え、読んでいて閉塞感を覚え苦しい感情を抱いたとしても。それは、僕が今まで生きてきて、何処かで、置き忘れていた感情を揺り起こしてくれるからだろう。
僕は、以下の文章から色々と学べることがあると考えるので引用したい。
〜テネシー・ウィリアムズがこう書いてある。過去と現実についてはこのとおり。未来については「おそらく」であると。しかし、僕たちが歩んできた時間を振り返る時、そこにあるものはやはり不確かな「おそらく」でしかないように思える。僕たちがはっきりと知覚し得るものは現在という瞬間に過ぎぬわけだが、それとても僕たちの体をただすり抜けていくだけのことだ〜
この文章を読んで人々は様々な解釈が出来るだろう。僕は、今まで生きてきたこの不確かな世界で、「おそらく」の連続だったのではないだろうか?これからも、この言葉を胸に刻み込んで不確かではあるが、このとおりという現実を大事にしていきたいと考える。
是非とも、一読してもらいたい小説である。喩え、それがあなたにとって不快な感情をもたらしたとしても。その価値はあると僕は信じている。
オススメ度 ★★★★★ 不確かな世界で僕たちは生きている。
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