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2008年07月31日

ゴッドファーザーPARTU



1975年4月公開

監督 フランシス・フォード・コッポラ
出演 アル・パチーノ ダイアン・キートン ロバート・デ・ニーロ

 一代で苦労してファミリーを築きあげた父ビト・コルレオーネ。彼は家庭も大事にしてきた。父の死後、ファミリーを引き継いだマイケル(A・パチーノ)。彼もまた父が築きあげたファミリーを守り繁栄させるべく奮闘していた。若き日の父ビト・コルレオーネ(R・デ・ニーロ)の面影を追いながら、若きドンのマイケルは物思いに耽る。父が若い頃の時代と全く違った中で、マイケルはドンとしての苦悩と復讐の物語が深く交錯していくのであった。決して交わることのない両者の生き様。それは観るものを惹き付けて止まない作品となって仕上がっている。

 家族とファミリーの繁栄を願い手に入れた父。一方でマイケルはファミリーの更なる繁栄とファミリーの合法化に心血を注いでいた。家庭も大事にしてきたつもりが、徐々に家庭崩壊への階段を昇っていくことも知らずにいた。若き日のドン・ビト・コルレオーネは、リトルイタリアで徐々に頭角を現していった。そんな中、リトルイタリアを牛耳っていたファヌッチが立ちはだかった。日頃から彼の横暴さを見かねていた彼は、街がキリスト教の祭りでにぎわう中ついにファヌッチを拳銃で仕留めることにせいこうする。この銃弾が、やがて訪れるドン・コルレオーネ・ファミリーの繁栄を持たらしていくのであった……。

 それとは対照的にマイケルは命を狙われる。ファミリーの中に裏切り者がいたということに立腹した彼は、急遽、旅立つことに。ファミリーが今後も繁栄していくようにと裏切り者を探し出すために。その旅立ちが後に彼を不幸へと陥れることも知らずに。

 この作品の秀逸なところは、若き日の父と、若き日のマイケルとの生き様を対照的に描いた点である。誰からも親しまれた父ビト。それは父ビトがリトルイタリアでファヌッチを殺したのも、いわば義憤の側面があったからである。リトルイタリアの市民をも守かのように立ち振る舞ってきたビト。それと相反するように、誰からも畏れられていたマイケル。それは、父が遺したファミリーを守るために。言わばファミリーだけしか見えていないマイケル。それが後々大きな悲劇の火種となってしまう。

 妻のケイ(D・キートン)は、夫の裏の顔を畏れ憎みすら抱くようになる。その結果として身ごもっていた子を中絶してしまう。その事実を知らされたマイケルは怒り狂いケイだけを追い出すことに。家庭の崩壊である。裏切り者としてわかったのは実兄のフレドだった。ファミリーの掟に従い、マイケルはとうとうフレドまで手にかけてしまう。父ビトのようには上手く行かず、時代の流れに苦悩しながらも冷徹さだけを手に入れたマイケル。

 このように、二人の生き様を交互に交錯させるように演出しており、それが、またこの作品に深みをもたらしているのである。ただの続編とはひと味もふた味も違うのである。両作品を続けてご覧になったらわかるが、二つの作品が融合して見事にひとつの作品としても成り立っていることに気づくだろう。この物語だけでも、充分に堪能できるという点では特筆すべきではないだろうか。今の時代でも決して色褪せることなく楽しめる作品に仕上がっているのである。一度観た人も、まだ観ていない人も必見です。お見逃しなく。

オススメ度 ★★★★★ 百聞は一見にしかず。是非ご覧になって下さい

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2008年07月30日

セブン(2回目)



1996年1月公開

監督 デヴィッド・フィンチャー
出演 ブラッド・ピット モーガン・フリーマン グウィネス・パルトロウ

 キリスト教の七つの大罪として、憤怒・嫉妬・高慢・肉欲・怠慢・強欲・大食が列挙されている。人は多かれ少なかれこの七つの大罪について欲求を持っている。キリスト教徒でない僕としては、この七つの大罪の意味するところは分からない。でも、人それぞれがさまざまな欲望を持って生きているということは確かである。

 この物語は、このキリスト教の七つの大罪になぞられて起こった連続猟奇殺人事件だった。退職間近のベテラン刑事サマセット(M・フリーマン)と若手刑事ミルズ(B・ピット)が手を組み事件の担当として調査を開始するのだが……。

 見所は、サマセットとミルズの生き方の違いである。几帳面でいて日々おこる犯罪にうんざりしているサマセット。それとは対照的に血気盛んで正義感が強く、少しだらしないのないミルズ。そしてキリスト教の七つの大罪になぞられて次々と起こる猟奇的殺人事件。この正反対な二人がそれぞれ違った観点から調査をするところはとても斬新でいて面白く且つ秀逸である。人が持っている残虐性。七つの大罪を大義名分にして自ら行った殺人の正当性を主張するジョン・ドゥ(K・スペイシー)。日本ではあまり馴染みのない七つの大罪だが、分かりやすく丁寧に描いているので、変に難しくないところである。

 例を挙げると、大食である肥満の男がパスタの上に顔をうずめて死に、強欲な弁護士は高級オフィスビルで殺されている。といった具合に事件が展開していく。これほど分かりやすく描かれているのである。そして衝撃のラストシーン。賛否両論あるだろうが、僕としてはあれで良かったと考えている。劇中おこされた殺人事件のすべてはあのラストシーンに向けての序曲に過ぎなかったことを思い知らされる。

 人が持つ弱さ、脆さ、といった側面をも持ち合わせている。サイコ・スリラーとしての作品では、あの羊たちの沈黙と同等に群を抜いている。至極の作品といっても過言ではないだろう。何度観ても飽きない作品である。一度観た方は、もう一度是非観てもらいたい作品である。もちろん、未見の方にも観てもらいたい作品である。かなりオススメです。

オススメ度 ★★★★★ 衝撃のラストシーン。目を背けずに観られますか

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2008年07月29日

キングコング



2005年12月公開

監督 ピーター・ジャクソン
出演 ナオミ・ワッツ エイドリアン・ブロディ ジャック・ブラック

 人類未踏の地。太古の昔から、この響きは冒険心を刺激して止まない。どれほどまでに人を魅了するのだろう。それは、誰も足を踏み入れることの出来なかった地に降り立つ興奮とそこに待ち受けているのは何なのか。そこにはロマンすら感じるのである。

 地図にも載っていない幻の島「髑髏島(スカル・アイランド)」。そこでかつてない冒険映画をとろうと、野心家で無謀な映画監督カール・デナム(J・ブラック)は目論んでいた。そこで言葉巧みに、美しくて優しい女優アン・ダロウ(N・ワッツ)と、誠実な脚本家ジャック・ドリスコル(E・ブロディ)と、撮影クルーを引き連れ危険な航海に乗り出す。そしてついに幻の島「髑髏島(スカル・アイランド)」へと到着する。早速、島に乗り込み撮影を開始するデナム。しかし、そこに待ち受けていたのは原住民たちであった。やがてアンは原住民にさらわれてしまう。救出に向かうクルーたち。ジャングルの奥深くへと入ってゆく。そこで彼らが目にした光景は想像を絶する世界を目の当たりにする。一方、アンも壮絶な体験をするのであった……。

 この作品は、1933年に製作された「キング・コング」のリメイクした作品。オリジナルは未見なので比較しようがないのだが、それにしても物語が冗長すぎた。中盤までは手に汗握る展開が多かったが、キングコングがニューヨークにきてからの物語には、少々荒削りな展開と言わざるを得ない。いくら冒険映画とはいえ、3時間をこすのは無理がありすぎた。もっと短縮できれば良い作品になれたかもしれない。でも3時間ある物語を観ているものを引きずり込む力強さがあるという点は否めない。

 ただ映像面では最新のテクノロジーを駆使してあるので見応えがある。くどいようだが、余りにも作品自体が冗長なため、観賞後は一気に疲労が襲ってくる。時間が余っている方にはオススメの作品なのかもしれない。個人的にはそれなりに楽しめた作品であったが、イチ押しするところまでいかない作品であった。

オススメ度 ★★☆☆☆ 個人的にはすごく疲れました

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2008年07月28日

コンスタンティン(2回目)



2005年4月公開

監督 フランシス・ローレンス
出演 キアヌ・リーブス レイチェル・ワイズ シャイア・ラブーフ

 人間は死んだらどうなるのだろう。宗教の違いによってその解釈はさまざまである。この物語の軸にあるのはキリスト教である。天国と地獄。それは人間界の裏側でせめぎ合いを繰り広げている、そんな世界観を持った話である。原作はアメコミの「ヘルブレイザー」である。

 人間界には悪魔や天使が宿った人間がおり、それらをハーフブリードと呼び、彼らは常に善悪の均衡を保とうとしている。ジョン・コンスタンティン(K・リーブス)はそれらハーフブリードを見分ける特殊な能力を持っている孤独な男である。彼は、その能力を使い、善悪の均衡を破った悪魔を地獄に送り返していた。理由は均衡をまもるためではない。幼い頃自殺を図った報いとして死後地獄へと行くことが決まっているので、それを回避して天国への切符を手に入れるために悪魔を地獄へと送り返し続けていた。

 ジョンはある日、いつものように悪魔払いをすませようとあるアパートへと出向く。そこに待ち受けていたのは、普通のハーフブリードではなく、下級の悪魔が人間界に忍び込もうと少女の体に寄生していたのだ。本来、天使や悪魔は直接人間界に出入りすることが出来ないはずなのに。違和感を覚えたジョンは神父にこのケースと似たようなことがないかを調べることを依頼する。一方、ロサンジェルス市警の女刑事アンジェラ(R・ワイズ)は双子の妹イザベルが謎の飛び降り自殺をはかった事実が受け入れられず、独自に真相を解明すべく調査するのであった。やがてジョンのもとに辿り着いたアンジェラ。ジョンと共にイザベルの自殺の謎を解くため一緒に行動するのだが……。

 この作品の見所は、地獄の世界へ行くのに水を通して移動したり、悪魔払いのアイテムがさまざまであり、それがまたユニークな品物であったりする。おまけに、肺がんによって余命いくばくもないジョンがそれでも煙草と酒をやめようとはせずにいたり、人のためより、自分が天国に行きたいために悪魔払いをやっているシニカルな役どころを演じている。

 これまで、いろいろな悪魔払いの映画があったのに、それらとは一線を画している。その理由は上記に挙げた通り、悪魔払いのアイテムが創造性にとんでいるからであり、ビジュアル面でも地獄の風景を描いたりしているからである。最初から最後まで飽きさせない作りとなっている。何度観ても飽きない作品に仕上がっていると個人的にはそう考えている。オススメです。

オススメ度 ★★★★★ ジョンのシニカルな役どころに注目してください

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2008年07月27日

シークレットウインドウ(2回目)



2004年1月公開

監督 デヴィット・コープ
出演 ジョニー・デップ ジョン・タトゥーロ マリア・ペロ

 もし、あなたに何も身に覚えのない出来事で、執拗に追い回されたらどうなるだろう。精神的に疲弊するのではないだろうか。そんな非日常の出来事を描いた作品がシークレットウインドウである。

 この物語は、人気作家レイニー(J・デップ)のもとに、いきなりシューター(J・タトゥーロ)がやってきて「自分の小説が盗まれた」というのである。全く身に覚えのない盗作の嫌疑をかけられ戸惑うレイニー。その場は追い返すものの、シューターが残していった原稿をみると、彼の作品である「秘密の窓」に非常に酷似したものだった。戦慄を覚えるレイニー。その後シューターは執拗にレイニーの前に姿を現し付きまとい始めるのだが……。

 原作はスティーヴン・キングの中編集「ランゴリアーズ」に載っている「秘密の窓 秘密の花園」を映画化したものである。原作は未読だが一度呼んでみたいものである。来月の初旬には手に入れる予定。その時はまた小説のレビューを書くので興味のある方はお待ちください。

 話が少しばかり脱線したが、この作品の見所は、ジョニー・デップの演技そのものだろう。半年前に妻のエイミー(M・ペロ)の不貞の現場へと足を踏み入れる際の表情。別居後、人里離れた湖畔の別荘で一人怠惰に暮らすレイニー。つねにボサボサの頭、着古したバスローブ姿、落ち着きのない姿、シューターの異常なまでの行動に畏れおののく姿、どれをとっても完璧な演技である。それに加え、ジョン・タトゥーロが迫真の演技でジョニー演じるレイニーを追いつめる姿はさすがに見応えがある。

 徐々にレイニーの精神が蝕まれていく姿は見ているものを圧巻する。もし、自分ならと考えさせられずにはいられない。まるで恐怖そのものである。この作品は個人的にはお気に入りの作品でDVDを購入しことあるごとに観ているのだが、何度観ても飽きない。それは、僕自身が精神を病んでいるからであろう。レイニーの生活も怠惰であり、僕の生活も怠惰である。感情移入しやすいという点も挙げられる。

 特にラストシーンでのジョニーの独壇場である。内なる声に耳を塞ぎ込む姿は、まるで僕を連想させる。そう内なる声に耳を傾けるのは非常に困難なことである。そういったところが、僕を惹き付けて止まない。ある意味、最後まで目が離せない展開になっているので、未見の方は、一度ごらん下さい。オススメです。

オススメ度 ★★★★★ 内なる声に耳を塞いでいませんか?

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2008年07月26日

オペラ座の怪人



2005年1月公開

監督 ジョエル・シューマカー
出演 ジェラルド・バドラー エミー・ロッサム パトリック・ウィルソン

 静かに見守る愛と、激しく求める愛がある。それが両者ないまぜになったときに悲劇は起きる。自分の手元にずっと置いておきたい独占欲。それは、見るものにとっては、時に腐臭を放つほどいかがわしく映る。

 この物語は1870年代、華やかな舞台でにぎわうオペラ座。一方では、仮面を被った謎の怪人ファントム(J・バトラー)の仕業と見られる奇怪な事件の頻発に人々はおののいていた。クリスティーヌ(E・ロッサム)はファントムを亡き父が授けてくれた”音楽の天使”と信じ、彼の指導で歌の才能を伸ばしてきたのである。それはファントムにとっては静かに見守っている愛であった。プリマドンナが自己に見舞われ役を降板することになる。その代役としてクリスティーヌは新作オペラの主演に大抜擢され、観客から喝采を浴びることに。そして幼なじみの青年貴族ラウル(P・ウィルソン)と再会を果たして喜びあう二人。だが、その直後、ファントムは愛するが故独占欲にかられ、クリスティーヌをオペラ座の地下深くへと誘い出すのだった……。

 最初は静かにクリスティーヌを見守っていたファントム。それがラウルの出現によって、徐々に彼女を独占しようとしていくさまは、哀れで、尚かつ、いかがわしく見える。とりわけファントムは顔の醜い傷によって仮面を被りオペラ座の地下深くで生活している。その心は、世間に対して憎悪を抱かせるに充分な土壌であったというに及びない。それとは対照的に青年貴族のラウルは非の打ち所がない。ラウルとクリスティーヌが惹かれあっていくさまを見たファントムは、やり場のない懊悩に包まれることに。やがてクリスティーヌを巡ってラウルとファントムとの激しいバトルが繰り広げられる。

 この作品の見所は、やはり、ファントム、クリスティーヌ、ラウルの三角関係だろう。どうしてファントムは歪んでしまったのか。届かぬ愛とは知らずに、ファントムは独り懊悩としている。そんな彼が、第二、第三の悲劇を起こしていく。それに加え、このドラマはミュージカル構成となっており、ネームバリューよりも歌唱力のある役者が集められ、全編、吹き替え無しで見事に演じて歌い上げているところだろう。

 絢爛豪華な衣装や次々次に変わっていく映像はとてもまぶしく、ヴィジュアルがこの悲劇を盛り上げるのに際だたせている。激しくも、どこか世俗的なファントムの愛は、哀れであり且ついかがわしく見える。これは、現代の世界でも通じるものがあるからだろう。ミュージカル映画が苦手な僕でも最後まで楽しめたのは自分でも意外である。

オススメ度 ★★★★☆ 絢爛豪華な衣装や歌に酔いしれて下さい

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2008年07月25日

ショーシャンクの空に



1995年5月公開

監督 フランク・ダラボン
出演 ティム・ロビンス モーガン・フリーマン 

 希望とは、こうあって欲しいと願い望むこと。また、その願い。のぞみ。願望。未来に良いことを期待する感情。となっている。長い刑務所暮らしでの唯一正気を保つためにはどうしても希望が必要となってくる。隔離された世界の中で、自由を奪われ、何をするにしても看守の許可がいる刑務所。僕は刑務所に入ったことはないが、隔離された病棟で入院した経験を持つ。心の中では、いつか退院して自由な生活を手に入れたいと切に願ったものである。そうしなければ自分が自分でなくなりそうな気がしたからである。

 この物語の主人公アンディ(T・ロビンス)は、妻とその愛人を殺したという罪でショーシャンク刑務所送りになった。初めは戸惑っていたものの、彼は自ら持つ不思議な魅力ですさんでいた受刑者たちの心をつかんでいく。やがて20年の歳月が流れ、彼は冤罪である重要な証拠を手にするのだが……。

 人間は希望を奪われた時、正気を保てなくなるものだろうか。恐らくそうであろう。絶望だけが精神を支配したときに人間は理性をなくす。どうしていいのか分からず、現実逃避をしてしまい、自分を見失うのである。どうすることも出来ず、立ち止まり、そして行き詰まる。そうなれば精神が蝕まれ自我が崩壊していく。

 この物語の秀逸な点は、希望を胸に抱き、永きもの間正気を保っていた所だ。長い間、社会と隔離され、仮釈放の身になっても、行き場のないやるせなさが描かれており、どう社会と触れ合っていいのか分からずに、自殺するシーンが挿入されている。余りにも切なくて、現実とはこういうものだと感じさせられたものである。一旦、罪を犯し長い間服役するとこういった現実が待ち構えていて、少なからず、再犯するものが後を絶たないのも頷ける話だ。かといってそれを正当化している訳でもない。ただ、納得は出来ないものの理解は出来るというレベルの問題である。

 僕は、隔離病棟に2週間いた。その後は、解放病棟へと移っていったわけだが、解放病棟といっても、決められた時間内に病院内を自由に行き来出来るだけのものである。そんな経験をしたからこそ、隔離される恐怖、次第に馴れていき、病院の外に出るのが怖い、社会復帰出来るのかどうかという点において不安がどうしても拭いきれない。退院してほぼ一ヶ月になるが未だ社会復帰出来ていない。食事もろくに摂らない日も多い。そう考えると入院していたらキッチリと食事は用意され、多少の自由は制限されるものの、病院も悪くないと考えてしまう。

 劇中の台詞で、必死に生きるか、必死に死ぬかという言葉がある。まさに、胸をうたれた気持ちである。最後、レッド(M・フリーマン)が必死に生きることを選択したときは、僕にも勇気を与えてくれたような気がしてならない。必死で生きるということを僕は忘れかけていたかもしれないからである。石にでもかじりついてでも必死で生きなければならない。

 最後になったが、T・ロビンスとM・フリーマンの二人の演技はとても素晴らしいものがある。見終わった後はなにか清々しい気分にさせてくれて静かに余韻を楽しめる作品となっている。オススメです。

オススメ度 ★★★★★ 希望を持ち続けていきたいものである

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2008年07月24日

オリバー・ツイスト



2006年1月公開

監督 ロマン・ポランスキー
出演 バーニー・クラーク ベン・キングスレー ハリー・イーデン

 したたかに生き延びようとするのは力強さを感じる。食べるものさえままならず着る服さえ着の身着のまま。舞台は19世紀イギリス。9歳になったオリバー・ツイスト(B・クラーク)は孤児であり、救貧院へと連れてこられる。彼は、夕食の席でお粥のお変わりを求めたばかりに委員の怒りを買って救貧院を追放処分となる。次に引き取られたのは葬儀屋である。ここでも彼は理不尽ないじめにあい、ついに家を飛び出すことに。行く宛てのないオリバーだが、ふと目をやるとそこには標識がありロンドンという文字が。70マイルも離れたロンドンへと歩いて目指すことに。一週間かけてようやくロンドンへと辿り着く。そこで彼は、フェイギン(B・キングスレー)が束ねる少年スリ団のリーダー、ドジャーと出逢う。オリバーはドジャーと行動を共にしていくのだが……。

 19世紀のイギリス。そこは食べることさえも難しい人たちがいた。スリまで働いてその日の糧を得ようとする少年たち。飽食の国日本で育った僕からは考えられないくらい貧しい。何としてでも生きようとする力強さは、今の日本ではなかなか見受けられない光景だ。現代においても食べることさえままらない国や人たちがいる。普段、それを意識することなく生活している僕がいる。大抵の人もそれは同じではないだろうか。そのことを対岸の火事のようにまるで他人事のように受け取る自分が恥ずかしい。

 この作品を通して、得られるのはそういった感情だ。お腹をすかせた子供たち。それを意識することなく生活を送っている。オリバーがおかれた立場は目を覆いたくなるくらいである。つまらないことで悩んでいる暇があれば、是非、この作品を観て頂きたい。僕も生活保護を受けてはいるものの、お金が少ない、ろくに食べれないといった愚痴が出る。しかし、この作品を観れば、如何に自分が愚かで矮小な人間かと思い知らされる。上を見ればキリがないし、下を見てもキリがない。どうやって日々暮らしていけば良いのか見失った時期にこの作品を観れたのは幸運としかいいようがない。全く身につまされる思いで一杯になる。今の生活に不満を持っている方には、一度は観てもらいたい作品である。何か考えを改めさせてくれる力を持った作品であることは間違いない。必見です。

オススメ度 ★★★★★ 今、一度自分の生活を振り返ってみてば如何だろうか?

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2008年07月23日

クラッシュ



2006年2月公開

監督 ポール・ハギス
出演 サンドラ・ブロック ドン・チードル マット・ディロン

 偏見とは偏った見方、一方的な見方という意味である。誰しもがそういった一方的な見方をもっている。例えば、僕の偏見ではオタクとは部屋に籠りがちで他人と交わろうとしない。そのかわり、フィギュアやアニメなどに傾倒していき自分の世界観を確立しているという見方だ。あと一般的には、転職ばかりする人は落ち着きがないとか鬱病はただのサボリ歯科見ていない人。例を挙げれ枚挙にいとまない。現実はそうではなく、もっと多面的だ。いろいろな人が織りなす人生模様。そのどれもが現実と非現実の世界をバランス良く保っているだけに過ぎない。そのバランスが崩れたとき偏見が頭を持ち出してくる。

 この作品は偏見が偏見を呼び、それが憎悪となってさまざまな人々を傷つけるのである。LAでの2日間の出来事を描いている。起きる出来事はさまざまで一見バラバラのようである。しかし、全編を通してみてみるとこれがバラバラになったピースが上手くはまり込み一枚の絵となって姿を浮かび上がらせる。人種差別の問題を真正面からとりあげている。冒頭で述べたように、この作品を観る上でのキーワードは偏見である。登場する人物、全てが偏見をもち怒りを抱きながら、生きている姿を描いている。

 タイトルのクラッシュとはぶつかりあうこと。肉体的、物理的なクラッシュはもちろんのこと、心と心の触れ合いまでが含まれてある。文字通り、交通事故のシーンから始まる。登場人物は、地方検事とその妻、黒人刑事と同僚で恋人でもあるスペイン系の女性。TVディレクター夫妻、雑貨店を営むペルシャ人の家族。鍵の修理やなど、さまざまな階層、人種、職業である。一見無関係のように思える登場人物たち。それぞれの運命が交錯する時に悲劇は起こる。ジグソーパズルのように、ばらばらになったピースを繋ぎあわせるかのように、物語は進行していく。

 この作品が秀逸なのは、偏見から産み出される人種差別を描いているのにも関わらず、アメリカだけの問題ではなく、もっと身近に偏見によって人間関係に摩擦が生じるということを描いている点だ。偏見によって導きだされた結論、ちょっとした言葉の行き違いで人間関係において衝突が起きる。まさに心と心のクラッシュである。色々と考えさせられる作品であり、観賞後も余韻が残る作品であった。必見です。

オススメ度 ★★★★★ 偏見によっておきるクラッシュ。耐えられますか?

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2008年07月22日

ビハインド・ザ・レッド・ドア



DVD 2006年9月27日発売

監督 マティア・カレル
出演 キーファー・サザーランド キーラ・セジウィック ストッカード・チャーニング

 例えば、自分に残された時間があとわずかだと知った時、人は何を想い、誰に傍にいて欲しいのだろう。それは人によってさまざまだろう。ある人は、やり残したことを自分の生ある限りやろうとするだろう。また、ある人は残された時間を家族とともに過ごすことを選択することもあるだろう。

 この作品は、HIVによって余命いくばくもない主人公ロイ(K・サザーランド)が唯一の家族である妹ナタリー(K・セジウィック)と共に過ごすことを望んだものである。

 NYで一人暮らすナタリー。写真家としての腕は一流なのだが、何故か個展を開こうとしない。代理人が持ってきた仕事を断ろうとするナタリーなのだが、執拗に迫る代理人に押される形で仕事を引受けることに。仕事先に向かい、実際にクライアントと会ってみると、それは長い間あっていない兄ロイであった。騙されたと感じ怒り心頭で、その場を立ち去ろうとするナタリー。それを必死で食い止める代理人。結局、不本意ではあるものの兄の仕事を手伝うこととなったナタリー。仕事を終え、NYへと帰る準備をするナタリーであったが、ロイの必死の説得によって兄の誕生日パーティへと参加することに。翌朝、帰ろうとするナタリーにロイが自分が病気であることを伝える。それを聞いたナタリーは動揺してしまう……

 兄と妹との兄妹愛を描いている作品である。何かにつけ命令口調のロイに対してナタリーは反発を覚えるもロイが深刻な病であることがわかると、どうしても怒りの矛先を兄には向けられない。しかも、日に日にロイの症状は悪化の一途を辿る。最後まで兄の面倒を見ようと決心するナタリー。看護疲れからノイローゼになりそうになりながらも、何とか持ちこたえるナタリー。一方で衰弱していく体をロイは自分自身許せないでいる。せめて、尊厳を持ったまま最後を迎えたいと考え、薬を飲まないことを決意することに。

 全編を通してあまり抑揚のない作品になっているが、決して中だるみすることなく、兄ロイと妹ナタリーが中心となって織りなしていく物語である。そこで浮かびあがってくるのが冒頭でも述べたように、死の間際になって、残りの時間をどうすごすのかが丁寧に描かれている。ラストシーンを劇的に演出することなく、淡々と演出しているのには非常に好感が持てる作品となっている。オススメです。

オススメ度 ★★★☆☆ 残された時間あなたならどう使いますか?

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2008年07月21日

リバティーン



2006年4月公開

監督 ローレンス・ダンモア
出演 ジョニー・デップ サマンサ・モートン ジョン・マルコビッチ

 才能があればあるほど、堕落していくさまは見苦しくなるものだ。もちろん、才能がない場合も堕落していくのはみすぼらしいものである。作家としての才能がありつつも酒とセックス三昧の奔放な生活を送るロチェスター伯爵(J・デップ)。彼は、国王の親族が並ぶ大事な宴の席で卑猥な詩を朗読して国王の怒りを買い幽閉されてしまう。その3ヶ月後、恩赦を受けて再びロンドンへと戻ってくる。しかし、戻ってきてもロンドンでは悪友たちと酒を飲み、娼婦を抱く自由気ままな日々を送っていた。そんなある日、ロチェスター伯爵は訪れた芝居小屋で一人の女優エリザベス・バリー(S・モートン)に目を留める。彼女は観客からブーイングを浴びていた。しかし、彼は彼女の才能を見抜き、その才能を開花させるべく演技指導をすることに……。

 ジョニー・デップが脚本の冒頭3行を読んで、出演を即決したほど惚れ込んだ作品である。彼が演じるロチェスター伯爵は、常に酒を手放さず、女性にも奔放でありながらも、作家としての才能を持て余している。よって彼は怒りに満ち溢れ、淫らでいて、そしてだらしなく生活を送っている。その難しい役所を見事に、ジョニー・デップは演じきっている。

 常に怒りを内にひそめ、それを自分自身へと向かわせていく。そのことにより、自分自身への崩壊に向かって階段を一歩一歩、歩みを進めていく。こんな経験は誰もが一度や二度あるのではないだろうか。例えば、思春期の頃、自分のことを理解してもらえなくて常に怒りを内包して誰もが敵に見えた時期が、少なからずもあったのではないだろうか。

 この作品は、その怒りに満ち溢れ自分自身に矛先を向け、自己崩壊へと辿っていくさまを描いたものである。酒に溺れ、女性関係も派手。有り余る才能をどこへぶつけていいのか分からずにいるロチェスター伯爵。ジョニー・デップが演じることによって、ある種のカリスマ性を感じさせずにはいられない。こういう一癖も二癖もある役どころを演じるのは、ジョニー・デップの右に出るものはいないのではないかと感じさせるほどである。

 だから、ジョニー・デップが出演する作品に僕は魅了されるのである。ちなみにこの作品はR15指定作品となっているので、鑑賞する際にはご注意を。ジョニー・デップの演技に酔いしれたいなら、必見ですよ。

オススメ度 ★★★★★ その怒りの矛先はどこにむいていますか?

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2008年07月20日

涙そうそう



2006年9月公開

監督 土井裕泰
出演 妻夫木聡 長澤まさみ 麻生久美子

 どれほどまでに、人は人のためにどれだけ生きられるのか?幼い頃に母(小泉今日子)は病床のとこに臥し不帰の人となった。最後に交わされた言葉は、「カオルは独りぼっち、どんなことがあっても守ってあげるのよ」だった。その言葉を胸にひたむきに生きてきた新垣洋太郎(妻夫木聡)。いつかは自分の店を持ちたいという夢を抱いている優しい青年。そんな彼に楽しみが増えた。それは、妹のカオル(長澤まさみ)が高校に合格し、オバァと暮らす島を離れ本島にやってくるのだ。やがて兄妹の二人暮らしが始まる。兄妹といっても血は繋がっていない。というのも洋太郎が8歳のころに母の再婚によって妹となったカオル。だが義父は姿を消して母も不帰の人となる。以来、妹の面倒をみてあげるのはオレだけだと思い生きてきた。

 冒頭に述べた通り、人は人のためにどれだけ生きられるのか?そんなテーマを抱かせる作品であった。兄は妹のためを思い生きている。そんな兄を疎ましく思わずにーにーと慕う妹。それはどんなときでも変わらなかった。元来、人を思いやるということが日本人の美徳として長い間培われてきた。しかし、今、その牙城が崩されそうになっている。自分さえ良ければ、自分たちさえよければ、人のことはおかまいなしという風潮が蔓延しつつある中、どうどうと人を思いやるとはどういうことかを真正面から描いた映画である。

 最後の最後まで妹を心配し続ける兄。それは親にも似た感情だったのかもしれない。たとえ血は繋がっていなくても妹は妹。それを静かに情感たっぷりに描いている場面。それはラストシーンに表現されている。涙なくしてはみられない場面。にーにーを想うカオルの切なさ。家族としての愛、男女としての愛、そんなものが混ざり込み曖昧な感覚で突き進む。相手のことを思いやるあまりに本音を言えない雰囲気がこの作品の随所でみられる。

 もう一度、人が人のためにどれだけ生きられるのか?言い換えれば、人のためにどれだけ思いやりが持てるのか?現代の社会では、失われそうな思いやりの精神をもう一度自問自答してはいかがなものか?心が洗われる作品です。必見ですよ。

オススメ度 ★★★★★ 思いやりの心をどこかに忘れてはいませんか?

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2008年07月19日

東京タワー オカンとボクと時々オトン



2007年4月公開

監督 松岡錠司
出演 オダギリジョー 樹木希林 内田也哉子

 親孝行したいときには親はいない。良くいわれる言葉だ。耳が痛い言葉でもある。というのも自分自身が37歳にもなって未だ親孝行出来ず親不孝ばかりしている。そんな僕はこの作品の仲に出てくるボク(オダギリジョー)に感情移入してしまった。若い頃の僕とボクまるで一緒である。僕は大学は出ていないが、社会人として働いていたとはいうもののボクと同じようにお金の無心を迫っていた。唯一違う点は僕は堕落していく一方で反対にボクは自堕落な生活から這い上がり、オカン(樹木希林)を東京に呼び寄せて見事に親孝行しているところだ。

 1960年代、オトン(小林薫)に愛想を尽かしたオカン(内田也哉子)は幼いボクを連れて、実家に戻る。妹の小料理屋を手伝いながら女手一つでボクを育てる。15歳になったボクは大分にある美術学校に入学して下宿生活を送る。自由気ままに高校生活を送りながら、東京の大学へ進学することを夢見るようになっていった。時は流れ1980年代、ボクは念願の東京へ美大生としてやってくる。しかし、仕送りしてくれるオカンに申し訳なく思いながらも学校もろくに行かずに自堕落な生活を送っていた。退学も考えたボクだがオカンの強い願いもあり、何とか留年して卒業することが出来た。卒業してからも相も変わらず自堕落な生活を送るボク。

 この作品はリリー・フランキー原作の自伝小説「東京タワーオカンとボクと時々オトン」を映画化したものである。原作は空前のベストセラーとなっているが、僕はまだ未読。昭和の古き良き時代から現代まで、上手く織り交ぜながら物語は進んでいく。

 自堕落な生活に終止符を打ち仕事に精を出すボク。仕事も順調に進みだし、新しい恋人もでき追い風に乗るかのようにどんどんと人生が上手く行きだす。ガンに冒されたオカンを東京に呼び二人で暮らせるまでとなる。オカンの手料理は友達にも評判よく、二人暮らしなのにお米を五合炊くほどまでとなる。そんな楽しい時間も束の間であった。ガンの状態が悪いため入院する。手術が出来ないため抗がん剤の治療にあたるのだが、オカンの苦しむ姿を壮絶に描いているのが印象的だ。

 物語全編を通しても中だるみもない。じわじわとこみ上げてくるものがこの作品にはある。最後の最後まで息子を心配するオカン。親とはそういうものかもしれない。実家とは反りが合っていない僕ですら、冒頭で述べたように親孝行をしなければならないと考えさせられた作品であった。いつかは、リリー・フランキー氏のように、親孝行をしてみたいものである。

オススメ度 ★★★★★ あなたは親孝行できていますか? 

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バイオハザードV



2007年11月公開

監督 ラッセル・マッケイ
出演 ミラ・ジョヴォヴィッチ オデッド・フェール アリー・ラーター

 昔にみたゾンビのホラー映画。殺しても殺しても死なないゾンビ。確かスーパーマーケットで戦いが繰り広げられていたように覚えている。最初に観たときの恐怖感は忘れがたいものがある。当時中学生か高校生かどちらかハッキリとは覚えていないのだが、夢にまで出てきたほどの恐怖であった。

 このバイオハザード一連の作品はそのアンデッドと呼ばれるゾンビたちが次々と襲ってくるストーリーである。ストーリーとしては単純明快だが、そのゾンビがTウィルスによって作られたものであるという設定が面白い。前作でTウィルスを殲滅させたようにおもわれたのだが、その数年後、Tウィルスは死滅することなく世界中へと蔓延していく。人類はほぼアンデッドとなり、無事に生き残っているのはごく僅かである。主要都市はすべてアンデッドが徘徊するようになり、生き残っている人々は旅を続けながら逃げている。そん中、アンブレラ社は「アリス計画」というプロジェクトを始動させる。その内容とはアリス(M・ジョヴォヴィッチ)のクローンによってさまざまな実験が行われていた。

 冒頭では1作目のバイオハザードを思い起こさせるような作りとなっている。これがアリスのクローンであることはすぐに分かる。本物のアリスはどこにいるかといえば、独り世界を彷徨っている。やがてアリスはアラスカが感染の及んでいないということを記されたノートを手にする。そして離ればなれになっていたカルロス(O・フェール)たちと再会することとなる。それに加えクレア(A・ラーター)が率いる武装集団も新たな仲間に加わることとなる。安住の地となるべく一行はアラスカへと向かうことに。そこで、アリスたちは、燃料や食料を確保するために、危険をおかしてラスベガスへと向かうのだが……

 今回の舞台は砂漠化したアメリカである。その分、スケールも広大となり、1作目のハイブ(地下研究施設)内、2作目ではラクーン・シティへと舞台が徐々に広がっていく。今回は開放感溢れる演出となっている。単純にアクション映画として楽しめる作品に仕上がっている。おしむらくは、アンブレラ社の利益優先という側面を持たせてはいるものの、中途半端に終わっているところである。

 いわゆるB級映画としては突出した作品である。テイストも昔の映画を彷彿させるような演出もあり、B級映画のファンである僕としては楽しめた作品である。純粋にアクション映画として楽しめる作品となっているので、ホラーが苦手な方でも楽しめる作品に仕上がっているのではないだろうか?百聞は一見にしかずという言葉があるように、一度、試してみてはいかがなものか。

オススメ度 ★★★☆☆ アリスのアクションシーンは見物です。

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2008年07月18日

パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド



2007年5月公開

監督 ゴア・ヴァビンスキー
出演 ジョニー・デップ オーランド・ブルーム キーラ・ナイトレイ

 誰もが幼い頃、海賊を描いたアニメや映画などで、彼らの冒険活劇に胸を躍らせたことだろう。そこに描かれていたのは自由気ままに振る舞う姿や、美味しそうに食べ物を食べ、酒をこよなく愛している。そんな姿だったのではないだろうか。的との戦いのシーンには胸を昂らせながらみたりしたものだ。

 デイヴィ・ジョーンズの心臓を手に収めた東インド会社のベケット卿。かれは世界制覇を目論む。そして次々と海賊たちを撃破していく。海賊たちの自由な時代は終わりを告げようとしていた。残された道はひとつ、”伝説の海賊”と呼ばれる9人を招集して、猛威をふるっている東インド会社相手に全面対決をすることに。しかし、その9人のうちのひとりであるジャック・スパロウ(J・デップ)は生死不明であった。やがて、ウィル(O・ブルーム)やエリザベス(K・ナイトレイ)たちは、溺死した船乗りが囚われているという”ディヴィ・ジョーンズの海の墓場”にジャックがいると確信して救出へと向かう。無事ジャックを救出できた、ウィル、エリザベス、そしてジャック。彼らの運命が再び交錯するとき、前人未到のワールド・エンドで、海賊たちの自由を賭けた最後の決戦の火蓋が切られることとなる。

 本作では、その自由を奪われ執拗に海賊たちを狩られるシーンなどがあり、違った意味で胸を躍らせたのではないだろうか。ジャックの生死は分からず、バルボッサらの手によって救出されたシーンなどは観ているコチラも喝采を叫びたいほどである。最後の最後まで飽きさせない演出は、さすがジェリー・ブラッカイマーと言わざるを得ない。

 見所は、最初から最後まで目が離せないところである。あげたらキリがない。例えば、海の大渦巻きの中での海賊船バトルや、デイヴィ・ジョーンズの海の墓場で何十人も登場するジャック。思わず、シークレットウインドウの最後のシーンを連想させられたくらいである。

 とにかく、こういった作品は小難しい理屈は抜きにして純粋に楽しめるかどうかが問題となってくる。個人的には充分堪能でき、それなりに楽しめた。最後のエンドロールが終わってからのシーンは充分に余韻をもたらせること間違い無しである。必見ですよ。

オススメ度 ★★★★★ 海賊たちの活躍を堪能して下さい

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2008年07月17日

パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト



2006年7月公開

監督 ゴア・ヴァービンスキー
出演 ジョニー・デップ オーランド・ブルーム キーラ・ナイトレイ

 前作で呪われた海賊バルボッサとの壮絶な戦いを制し、再びブラックパール号の船長となったジャック(J・デップ)。一方、鍛冶屋のウィル(O・ブルーム)と総督の娘エリザベス(K・ナイトレイ)は結婚式を挙げようとしていた。そんな矢先に二人はジャックを逃した罪で投獄され処刑されそうになる。罪を逃れるためにはジャックの持つコンパスが必要であり、それを持ち帰りさえすれば処刑はまぬがれる。やがてウィルはジャックを捜しに出かけることに。

 ジャックはジャックで海賊なら誰もが怖れる幽霊船フライング・ダッチマン号の船長であるディヴィ・ジョーンズに魂を奪われようとしていた。というのも13年前に海底に沈んでいたブラックパール号を手に入れるために、彼とジャックは血の契約を交わしていたのであった。その契約の期限が迫っていた。ジャックはその事態を打開すべく、命運を握る鍵の行方を捜し始めるのであった。

 前作に引き続き、ジョニー・デップ、オーランド・ブルーム、キーラ・ナイトレイら豪華なキャストがこの作品に華をそえる。お伽噺としてみれば文句のつけようのない作品に仕上がっている。ただ、個人的に不満なのは、第3作に続くために、いささか冗長になりすぎて期待を持たせ過ぎなところが不満と言えば不満である。

 ただ、この作品は老若男女を問わず楽しめるので冒険活劇としては大変面白く仕上がっているのは事実。思わず第3作目に対して期待を抱かせるのである。

 大方の映画で続編があまりパッとしない理由として考えられるのは、前作の質の品質が良いので、続編を作る場合はあれもこれもと詰め込みたくなるからではないだろうか。観客の要望を満たすために、制作側もアッと驚くような仕上がりにしなければならないという焦りにも似た感情があるのだろう。

 そんな中でこの作品は、可もなく不可もないといったところ。多少、エピソードを詰め込みすぎたのが難点のひとつ。それ以外は非の打ち所がないといっていい。上映時間は少し長めだが、そんなことは気にせずにこの作品に没頭できるので、オススメです。

オススメ度 ★★★★☆ ジョニー・デップの怪演に酔いしれて下さい

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2008年07月16日

愛の流刑地



2007年10月公開

監督 鶴橋康夫
出演 豊川悦司 寺島しのぶ 長谷川京子

 誰かが誰かを愛するという行為はごく自然な摂理だ。ただ、愛するが故に愛する人に手をかけるという行為は極めて稀である。どうして殺してと冬香(寺島しのぶ)は菊治(豊川悦司)に頼んだのか?劇中ではそれが争点として描かれている。

 「あなたは私のために死ねますか?」と冬香が菊治にそう問いかける。まるで観客に問いているかの如く。人は人をそう簡単に愛せることは出来ない。そう連想させる台詞である。愛しているという言葉は口に出せても、その愛しているという証明としてあなたは何を求めますか?先の冬香のような言葉がでてくるのではないだろうか?

 「あなたは死にたくなるほど、人を愛せますか?」これは裁判の過程において織部(長谷川京子)に発した言葉である。この言葉から分かるように菊治も冬香を愛していたのだと。「愛しているから殺した」事件を担当する女性検事の織部は、菊治の言葉に困惑しながらも真相を追求していく。

 物語は、菊治のファンであるという人妻・冬香との出会い恋に落ちていった。逢瀬のたびに二人は激しく心と体を求めあう。そしてついに「首を絞めて」という冬香の言葉に応じてしまった菊治。「何故、男は女を殺したのか、そして女は死を望んだのか」そんな疑問を抱かせたまま裁判のときを迎える。

 そして法廷の扉が開かれ、今、愛と死の真相があきらかになる。

 この作品は渡辺淳一氏の同名ベストセラー小説をモチーフに描かれた作品。男女の愛の深層心理を官能的に書き綴ったラブストーリー。監督はこの作品ではじめてメガホンをとったTVドラマ界のベテラン・ディレクターの鶴橋康夫である。

 愛しているから殺したというほどまでに、人は人を愛することができるのだろうか。いやそもそも、そのテーゼが成り立つ前に男性側から観る主観と、女性側から観る主観はおのずと違ってくるだろう。そもそもその二極性から生じる感想の違いは大きいのではないだろうか?これは男女の愛の深層心理をアンチテーゼとして描かれた作品であって、いささか官能的ではありすぎる。それも演出のひとつなのだろう。観賞後も尾を引く作品に仕上がっている。あなたはこの映画を観て何を感じ取るのだろうか。これから観る人は何を感じるのだろう。そんな疑問を投げかけてくれる作品となっている。

オススメ度 ★★★★☆ あなたは死にたくなるほど人を愛せますか?

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2008年07月14日

地下鉄(メトロ)に乗って



2006年10月公開

監督 篠原哲雄
出演 堤真一 岡本綾 常磐貴子

 どの家庭でも大なり小なり父親と息子の確執はあるものだ。第二次成長期にはいり、自我が芽生えていけば必然と自分の価値観と父親が押し付けてくる価値観に相違が生じ衝突する。主人公の長谷部信次(堤真一)も父親との確執を抱えていた。

 長谷部は父親を忌み嫌い、高校を卒業してから母がたの姓を名乗っている。そんな長谷部も43歳の衣料品会社の営業マンとして忙しく働いていた。ある日、父が倒れたという連絡を受ける。高校を卒業していらい父親とは一度も会っていなかった。くしくも、この日は若くして亡くなった兄の命日でもあった。そんなことを考えながらいつもどおりに会社から帰ろうとして、地下鉄をおりて駅の階段を上がると、そこはオリンピック開催に湧く昭和39年の東京だった。突如として現れた光景をしばらく理解出来ずにいる信次。やがて自分がタイムスリップしたと夢とも現実とも信じがたい出来事に戸惑う。何度かタイムスリップを体験しているうちに、恋人のみち子(岡本綾)とともに過去へと戻る。そこで目にした光景は若き父(大沢たかお)とその恋人お時(常磐貴子)の姿であった。時空を超える旅を続けるうちに明らかにされていく、父親の真実の姿。そして信次とみち子との間に隠された驚愕の真実。それは、あまりにも切なくて悲しい運命だった……。

 見所は、どうして信次だけでなくみち子もタイムスリップの体験をしたのかというところである。現実に起こっているんだということを追認識させるためだけのものではないところがいい。信次とみち子の不思議な結びつきを感じ取ってもらえたらこの作品の面白さが増す。

 冒頭でも述べた通り、父親と息子の確執は、どの家族においても大なり小なりあるものである。当然、僕にも父親とは埋められないほどの溝があり確執もある。そんな複雑な思いを抱きながらこの作品をみて、今後、父親とはどう接していけばいいのか考えさせられてしまう。何せ、個人的なことではあるけれども、父親からは「お前には実家がないと思え」と言われたのである。僕にも息子がいるが死んでもそういうった暴言は吐かないし、吐きたくない。

 この作品を通して、もう一度家族との関係を考えなおさなければならないと教えられた作品でもあった。冷えきった家族、父親と息子のみならず、母親と娘に横たわった深い溝をお持ちの方には観てもらいたい作品である。

オススメ度 ★★★☆☆ 信次とみち子の不思議な関係に注目して下さい

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2008年07月13日

硫黄島からの手紙



2006年12月公開

監督 クリント・イーストウッド
出演 渡辺謙 二宮和也 伊原剛志

 戦争の無意味さを僕たち世代は、頭では理解出来ていても、どこか対岸の火事のような視点でみてしまう。そういう意味では湾岸戦争ではバーチャルな戦争という側面もある。それはTVカメラによって何かしらゲームのような錯覚に陥ってしまう。かの太平洋戦争では記録フィルムが残され当時の若者たちがどんな思いを抱きながら戦場に向かったのか?それは余人に推しはかれるものではないはずだ。

 あらすじは、戦況が悪化の一途をたどる太平洋戦争末期。日本軍の重要拠点でもある硫黄島に新たな指揮官、栗林中傷(渡辺謙)が降り立つ。彼はアメリカ留学の経験を持ち合わせ、無意味な精神論が幅を利かせていた軍の体質を改める。そして合理的な体制を整えようとする。栗林の登場によって理不尽な体罰に絶望を感じていた西郷(二宮和也)はかすかではあるが希望を見出していく。栗林が合理的に進歩的な言動をするのに対して、古参の将校たちは反発を強めていく。そんな中でもロサンゼルス・オリンピックの馬術競技で金メダルをとった西竹中佐(伊原剛志)のような理解者も増えていくのであった。圧倒的なアメリカの兵力を迎え撃つために地下要塞を掘り進める。このトンネルこそが、栗林の秘策であった。最後まで生き延び本土にいる家族のために一日でも長く島を守り抜くことが大事である。「死ぬな」という栗林の命令のもと、5日で終わると思われた硫黄島の戦いは36日間にも及ぶ歴史的な激戦となる。

 時が経ち、2006年の硫黄島。地中から発見されたものは数百通にも及ぶ手紙であった。それは、61年前にこの島で戦った男たちが家族に宛てて書き残したものである。決して届くことのなかった手紙。彼らは何を思い、何を残したかったのだろうか?

 本作は、硫黄島での戦いを日米双方の視点から描く2部作の「父親たちの星条旗」に続く第2弾である。

 劇中では思わず目を背けたくなるシーンがある。お国のためにと言って玉砕の精神で自殺を次々とはかっていく。当時の思想としてはそれが当たり前だったのだろう。いや、そんなことを軽々しく言ってはいけない雰囲気がそこにはあった。恐怖におののきながらも自害していく姿は観ているものにとっても、それは痛ましいものであった。どんなに過酷な状況でも決して自分を見失わないように生きている西郷の姿には共感を覚える。

 富国強兵の名の下に、あらゆるものが犠牲となり、学徒動員などさまざまな側面を持っていた太平洋戦争。我々は、その意味を後世へと語り継がなければならない。夢半ばで散っていった若者たちの魂のために。

オススメ度 ★★★★★ 夢半ばで散っていた若者たちの生き様を観て下さい。

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2008年07月11日

父親たちの星条旗



2006年10月公開

監督 クリント・イーストウッド
出演 ライアン・フィリップ ジェイミー・ブラット アダム・ビーチ

 写真というものはある瞬間を切り取ったものである。その写真が意味するものは、見る人によってずいぶんと印象が違うものである。その印象を上手く逆手に取り国益に繋げようとする政治家たち。そこに写ってあるのは、擂鉢山に星条旗を掲げる6名の兵士を写した有名な戦争写真。長引く戦争によって資金難になり、何とか資金を調達しようとする政治家。その政治家によって硫黄島から無事に帰還してきた、ドク、アイラ、レイニー。気がつけば3人は国家の英雄として迎えられていた。

 そんな事実に戸惑いながらも、3人は国債を得るためにキャンペーンにかり出される。本当の英雄たちは硫黄島で息絶えたものたちなのに。そんな思いを胸に秘めながらも、そんなことはおかまい無しにどんどんと英雄として祭り上げられるのであった。まさに作られた英雄である。自分たちが何のために戦ったのかすら見失いそうになりながらも、ある者は酒に溺れ、ある者は、それを宿命と受け止めた。

 戦争によって傷ついた兵士の心を丁寧に描きつつ、戦争がもたらした悲劇を圧倒的な臨場感とともに描いている。それとは対称的に帰国後の彼らが政府から受けた扱い。それがどんなに若者を傷つけたかを静かに全編を通してバランス良く丁寧に描いているのも秀逸だ。観る者をくぎづけにする魅力を持っている。

 この作品は硫黄島での戦いをアメリカ側の視点で描かれている。2部構成となっており、逆に日本側からの視点で描いた作品「硫黄島からの手紙」がある。この作品を観ると必ず日本側からの視点で描いた作品「硫黄島からの手紙」を観たくなるのは必須だ。戦争がもたらす一面を多面的に描いた作品であり、非常に良質でオススメの作品です。

オススメ度 ★★★★★ 英雄に祭り上げられた若者の悲壮を味わって下さい

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posted by Genken at 09:14| 兵庫 ☀| Comment(2) | TrackBack(1) | 映画(た行) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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